『天邪鬼』起の章

春。

 ぽかぽかとした陽気の日向に、微かな冷えを残した風が空を滑る。
 桜の花はもう直ぐ満開で、白い花びらが優しい雨のように降っている。

 何かが始まるにはちょうどいい日和であった。

 十時五十分。

 陸陽大学妖怪学科春見ゼミのオリエンテーションが始まる時間だ。

 大きな机を囲む椅子は八席。埋まっているのは七席。
 そのうちの一番端に座っている初老の男性……このゼミの教授、カスミが口を開いた。

「……じゃあ、まずは二年から自己紹介してもらおうか」

「はっ、はい!」

 小柄な少女は勢いよく立ち上がった。
 反動で椅子が倒れそうになるのを慌てて隣の男性が支える。
 緊張からかそのことすら気づかない少女は肺いっぱいに空気を吸い込み、身の底から割れんばかりの声を繰り出した。

「か、カガリサツキです!!!」

 さっとカスミが手を出して遮る。

「カガリくん、声もうちょっと落として」

「す、すいません!」

 見ると周りのゼミ生全員が顔をしかめ耳を押さえている。
 二、三度深呼吸をしたカガリは、気を取り直して自己紹介を続けた。

「……えー、|篝咲月カガリサツキです!
 体力には自信があります!柔道部に入ってます!
 えと、こちらの春見ゼミを通して、ハライを学び、少しでも多くの人たちを助けられるようになりたいです!
 至らぬ点多々あるかと思いますが、頑張りますのでよろしくお願いします!」

 カガリにパチパチと全員から拍手が送られる。
 一人だけ、手を叩かない者がいた。その男はぼんやりと、どこともない空を見つめている。

 その後三年、四年と順番に自己紹介をしていく。その度に拍手が沸く。つつがなく進行していく挨拶に、カスミは改めて声をかける。

「じゃあ次、アシヤくんね」

 アシヤと呼ばれた男は脱力しきっており、座っているのか寝そべっているのかわからない体勢だった。
 ずるりと体をおこし、机に肘をつく。

「……君の助ける人たちの中に、犯罪者は含まれるのか?」

 カガリを指差し発した第一声。

 彼女はあまりに唐突な問いに面食らう。

「……え?」

「君にとって助けるべき存在とはなんだ?」

「……えっと、困ってる人とか、傷ついて苦しんだり悲しんだりしてる人たちです」

「傷つけた相手はどうする?」

「懲らしめます。誰かを傷つけることはよくないことですから!」

「他者を傷つける者は悪と考えているんだな。ならば悪は淘汰されるべきか?」

「……傷つく人は、少ない方がいいです」

「……君は人を殺したいと思ったことがあるか?」

「……いえ」

「人を殺したいと思うことは悪か?」

「……良いことではありません」

「相手が大事な人を脅かす存在だったとしても?」

 突然始まった怒涛の質問攻め。
 カガリは勿論、誰も何もついていけていない。
 それでもアシヤは話し続ける。

「例えば親。例えば恋人。その命が誰かの手で無残に奪われたとする。法は成人した人間と悪の属性を持つ妖……鬼や妖狐には厳格だ。だが未成年。そして善の属性を持つ妖……竜や白蛇が起こした天災や祟りに関しては非常に寛容だ。それでも大事な者を奪われたことに変わりはない。その時被害者が何を思うか……その憎悪は罪なのか?」

 沈黙。

 外は春の陽気だというのに、このゼミ室の空間だけ空気の温度が下がっているのがわかる。

「法は公平だ。同じ立場に関してはな。だが権力や存在の強さによって捻じ曲げることもできる。法で裁けない存在を裁くのは誰かわかるか?」

「……少なくとも、人や妖ではないはずです」

「それが裁けるんだよ、人は。その術《すべ》をもう持っている。ここにいる奴らはな」

 アシヤは流暢に語り出す。

「僕たちはたくさんの目を持つことが必要だ。
 相手の立場、思い、状況を鑑みて、己がどう行動すべきか冷静に考えなければならない。

 祓はその力で妖と対等になることができる。人と妖を繋ぎ、時には彼らの裁判官として立つことすらできる。ただしそれで裁く相手を見誤ってはならない。

 彼らは我々以上に義理を重んじる。公平性だけでなく、場合によっては忖度も必要だ。そこに明確な正しさなどない。あるのは彼らが決めたルールだけだ。

 目の前の状況に気を取られ、誤った正義感で妖や人に干渉するのは、ただの愚か者、あるいは馬鹿だ。秒で祟り殺されるだろう」

 ゼミ室はしん、と静まり返る。
 誰もが、アシヤの言葉に面食らっている。……というか引いている。

 カガリはショックを受けたというよりは、疑問で硬直していた。

 この人は一体なんなんだろう?
 どうして急にこんなことを話すのだろう?
 私の自己紹介が気に障ったのだろうか?

 そんな思考が巡る中、アシヤはとどめの一言を刺す。

「……お人好しは他所でやれってことだ。僕の話は難しかったかな?推薦入学くん」

 かあっ、と顔が熱くなる。

 カガリが言葉を発する前に勢いよく立ち上がったのは、眼鏡の男子学生……四年の万城目知也マキメトモヤだった。

「……もー!アシヤさんはすぐそうやって人をおちょくる!そういうとこ直した方がいいですよ!」

「そ、そうっスよ!シャワーでも浴びてスッキリしてきたらどうっスか?なんか、その、臭いますよ!」

 癖毛の男子学生……三年の麻木透アサギトオルがそう言うと、アシヤと呼ばれた男は自分の臭いをすんすんと嗅ぐ。

「……あー、そういや三日前の依頼が終わって以降部屋から出てないんだった」

「ほらやっぱり!全くズボラなんですから……さっ!早く入ってきてください!ね!」

 アシヤは男子学生たちに押されるようにゼミ室を出て行った。

 足音が遠くなるのを確認して、柔和な表情の男子学生……宮本正樹ミヤモトマサキがカガリを心配そうに見つめた。

「……ごめんねー、あの人いつもあんな感じなんだよ」

 マキメも振り返って、困ったようにカガリに笑いかける。

「そうそう!ズボラだし、歯に衣着せない。あの人が居座ってるおかげでこのゼミ人気ないところあるから……。
 ま、まあ気にしないで!」

 カガリは怒涛の展開にしばらくぽかんとしていた。

「……下級生への洗礼ってやつだ。特にあの人はひねくれているからな。技術は確かだが言葉も手段も選ばない」

 そう呟いたのは長身の男子学生、四年の古賀裕介コガユウスケだった。
 その言葉にアサギは乗っかり、言葉をまくしたてる。

「そうなんスよ!天才肌ってああいう人のことを言うんスかね?でもいくら祓が上手くたってあんなんじゃ近寄りたくないっスよね〜。あ、カガリっちは『陸陽の幽霊』って聞いたことないスか?」

「……え?ああ、有名ですよね。夜中の食堂とか廊下に現れるっていう……」

「それ、あのアシヤさんなんスよ」

「ええっ?」

 カガリの驚きに呼応するようにカスミはうなずく。

「ほとんどここに住んでるようなものだからねえ、アシヤくんは」

「先生公認なんですか!?」

「まあ、家にいたらいたで学校来なくなっちゃうしね〜。気がついたら寝床も作ってあってびっくりしちゃったよ、ははは」

 カガリは愕然とする。
 そして、最初の自己紹介を上回らんばかりの大声で叫んだ。

「……なんなんですかあの人!!!!!」

―――

 カガリの憤慨が落ち着くまで、十五分かかった。

 カガリはまず勢いよくゼミ室を飛び出し、体育館までダッシュした。
 次に部室の扉を開けると、そこには運悪く柔道部の後輩が一人いた。
 後輩が「どうしたんすか?」と言い終わる前にカガリは「一試合付き合って!!」と叫び、私服のまま後輩を五回投げ飛ばした。

 そしてそのままゼミ室にダッシュで戻ってきた。

 息切れするカガリに、マキメはタオルを渡す。

「びっくりしたー……。帰っちゃったのかと思ったよ。いや、無理もないけどね?」

「すいません……もう大丈夫です……」

 ミヤモトは椅子の背もたれに肘をかけ、のほほんと喋りかける。

「出会い頭にあれだけ言われたらしょうがないよ〜。カスミさんも止めればよかったのに〜」

「まあ、アレは君らも体験したことだろ?恒例行事かな、と思って」

「ひどい……」

 マキメが呟く。
 カスミはこの状況でも居住まいを崩さない。
 こういったアクシデントは日常茶飯事なのか、はたまた何事も意に介さない豪胆な人間なのか。
 ほとんど初対面のカガリには推し量りようがなかった。

「それに、言ってることは間違いじゃないからね。特殊な力を操る分、己の力量を見誤っちゃいけないと思ってるのは、僕も同じだよ」

 カガリは汗を拭き、カスミの方を向いた。

「その祓の力って、どのようなものなんですか?
 教科書にも載ってなかったんですけど……」

「うん、そうだね。その話もしなくちゃね。アシヤくんはいないけど、オリエンテーションを始めようか」

 各々が元いた席に座り直し、授業は再開された。
 ……癖の強い男を除いて。

 ―――

「まず、このゼミで学ぶ術についてから。
 一応”ハライ“って名前がついてる。といってもこうして名前がつけられたのも、認知され出したのも最近でね。つい十数年前からなんだ。カガリくんが知らないのも当然というわけだ」

 コガが淡々と補足を差し込む。

「他のゼミで研究されてる”修験道”や”陰陽道”などの起源は何世紀以上も前。それらに比べたら非常に歴史が浅く、研究もほとんどされていない」

「そう。だからといって生まれたての技術というわけでもない。僕が独自に編み出したわけでもない。祓は、口伝によってひっそりと受け継がれてきたんだ」

「口伝……?記録されてこなかったんですか?」

「うん。なんせ特殊だからね。記録したくてもできなかったんだろう。まあ、見ればわかるよ」

 カスミは立ち上がり、ホワイトボードに何やら奇妙な模様のようなものを書いた。
 そしてカガリに尋ねる。

「これ、なんて読むかわかる?」

「え……文字なんですか?これが?」

「そうだよ。マキメくん、読んでごらん」

「は、はい!」

 マキメも席を立ち、物が置かれていない広い場所に立った。

 そして声を発した。
 その声はどこから声を出しているのかわからない、不思議な音だった。
 念仏のような、歌のような。

 その時。
 何もない空間に黒い切れ目が入った。
 その切れ目は広がり、穴のようなもう一つの空間を作り出す。
 そしてそこから出てきたのは……。

「やっほー!ようやくお呼びですかい!」

 和服をアレンジしたようなあしらいの服。
 男性とも女性ともつかないいでたち。
 そして最も特徴的なのが、額に生えた角。

 人の形をした何かが、何もない空間から突然現れたのだ。

 カガリがぽかんと口を開けているのを見て、マキメたちはにやりと笑った。

「これが祓の術の一つ……だよ」

 ―――

 空間から現れた角の生えた何かは、ひょこっとその場に降り立ち、いそいそとカガリの方に向き直る。

「どうもどうも、お初にお目にかかりやす!非常勤講師のサグメと申しやす。よろしくねぇ!」

「サグメさんはカスミさんと契約してる妖なんだ。このゼミに入った人は最初にサグメさんを呼び出せるようになるまでの過程で祓のコツを掴むんだよ」

 マキメがそっと付け加える。

「カガリちゃん、ホワイトボードを見てごらん」

 言われてカガリはカスミのいるホワイトボードに目をやる。すると……。

 模様が消えている。消した跡もなく、そこには真っ白な画面だけがあった。

「あれ?!え!?」

 混乱するカガリに、カスミは一つ一つ説明していく。

「祓で使う”詞”という言葉は、音と字が結びつくことで効果を発揮することができる。そして使われた字は効果を失うと同時に消滅する。……まあ、字を書いてから音を結びつけるやり方は特別なやり方なんだけどね」

 カスミはそう言うと自分の頭を人差し指で指す。

「大事なのは頭の中で想像することだ。自分の思考、意思を脳内で形作る。それがここでいう”字”だ。その字を詞特有の言葉に置き換えることで、詞としての力を発揮することができるというわけだ」

「ほぁー……」

 理解できているようなできていないような表情のカガリ。ミヤモトがそっと耳打ちする。

「えっとねー、さっき書いてあった文字は、サグメさんを呼び出すための”字”だったんだよ〜。それをマキメ先輩が音と結びつけたことで、サグメさんが出てきたってこと〜」

「ああ!なるほど!……って、なんかすごいんですね詞って!?遠くにいても伝わるってことなんですか!?」

「そうそう。ただ、相手と縁が繋がっていればだけどね。それに、そこまで万能ってわけでもなくて、これは”妖”にしか伝わらないんだ」

「えっと……ということは、人はもちろん、人や動物の死後の魂にも使えないってことですか?」

 この世で生きる者……人や動物の魂と、人や動物ならざる者……妖の魂は性質が異なる。界隈の者は”現世の幽霊”と”常世の幽霊”という風に呼び分けている。

「その通りっス!でも使えるようになったら便利っスよ!その辺にいる目に見えないレベルの低級な妖を使って物を動かしたりできるんスから!」

「それをできるのはカスミさんかアシヤさんぐらいだがな」

「っスね……」

「だから、妖以外の万物にも対応できる術と詞の総称が”祓”というわけだ。……ただ、このゼミで学ぶほとんどは詞になるだろうな」

「詞だけでも充分応用が効くからね。あとは、一人一人に合わせて使いやすそうな術を教えていく感じかな」

 カガリは「なるほど……」と呟き、考え込んだ。

 祓の術のうちの一つ、詞。
 アシヤが言っていたのは、これのことなのだろうか。
 人と妖を繋ぐ術。妖を裁くことすらできる術。

 その奥深き世界の入り口に立ったばかりのカガリは、その術がどのようなものなのか全く掴めずにいた。

 ぐっ、と拳を握り、顔を上げカスミを見た。
 にこやかなその目からは真意を掴むことは到底できそうにない。ちょうどカガリが学ぼうとしているもののように。

「……やってみます。これから、よろしくお願いします!」

次話

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