『天邪鬼』承の章

前話

「よし、じゃあここからは僕の出番かな!」

 横で聞いていたサグメがスッとホワイトボードの前に立つ。

「早速だけど、今日は祓を使うための声の出し方と、簡単な詞の実践をやってみよう!一個だけでも使えるようになってから帰ろうね〜」

「はい!」

 カスミもゆっくりと立ち上がる。

「じゃあ三、四年生はこっちで結界の演習をやってもらおうかな。春休みの自主練の結果を見せてね」

 そう言われた上級生たちはぞろぞろと部屋を移動する。とはいえパーテーションで区切られているだけの大部屋なので、お互いの様子は丸見えである。

「よーし、カガリちゃんだっけ?今年はマンツーマンだから教えやすいね!張り切って行きやしょう!」

「よろしくお願いします!!
 あ、そうだ!聞きたいことがあって」

「ん?なんだい?」

「私、人より霊力が少ないみたいで、霊感の強い友達に比べると浮遊霊とか小さな妖が見えないんですが、それでも詞って使えるようになりますか?」

「うん!この大学にも霊力が少ない人って結構多いし、マキメくんも元々霊力がそんなになかったんだけど、妖や術に触れてるうちにだんだん身体が追いついてきて、あそこまで使えるようになったんでやす。だから最初はなかなか慣れないと思うけど、頑張りやしょう!」

 その言葉を聞いて、カガリの表情が和らぐ。

「そうなんですね……!わかりました!」

「うん!
 えーと、まずは詞の簡単な解説をしやしょうか。この言葉の語源は、元々妖しか使ってなかった”古妖語”なんでさぁ。
 人間でいうと平安時代あたりの古語でやすね。んで、古妖語も口語と文語……話し言葉と書き言葉という風に分かれてるんでやすよ」

「ああ……”何々である”みたいなのは書き言葉、”何々だよね”とかは話し言葉、ですよね?」

「そうそう!さっき言ってた話し言葉が音、書き言葉が字、って感じでやす。
それで、古語は現代じゃほぼ使われてないし、昔の話し言葉で今話しても伝わらない。書き言葉も然りでやす。

 でも、古妖語はそうでもないんでやすよ。音と形は違うけど、意味は伝わる。
 もちろん、妖共通語なんで人には伝わらないでやす。イルカの言葉みたく音の出し方も違うんで、そもそも人が話すこともできないんでやすが……。

 それを分析して、人間の声帯で出せる音に翻訳したものが”詞”なんでやす!
 きっと昔、妖と心を通わすことができた人が作ったんでやしょう。そのへんはまだまだ研究が進んでやせんけど……」

「なるほど、それであんな不思議な音なんですね!」

「仏教でいう念仏、海外だと魔術でやすね。
 仏様のお力をお借りするわけではないんで、魔術が一番近いでやすかね?

 詞は体内にある霊力を使うことで力を発揮するんでやすよ。
 詞の単語には大まかな属性もあって、五行説に則って木、火、土、金、水に分かれてやす。
 この辺は説明が難しくて……うーん!今一気に話しても難しいでやしょう!」

 サグメは少し悩み、まずは実践あるのみとホワイトボードを引き寄せた。

「ってなわけで、始めやしょっか!そんじゃ、まずはこの文字から……」

 サグメは詞特有の奇妙な文字を二十個ほど書いていった。文字は一種類につき二つ書かれており、一つは見本、もう一つはカガリがうまく発声できたら自然に消えるという寸法である。

 それらの字は平仮名のようなもので、字単体に効果はないという。簡単かつわかりやすい発声練習法だった。しかし……。

「うーん……」

「大丈夫大丈夫!これぐらいならよくあることでさぁ!」

「……」

「……んー?もう少しお腹の力を抜いて……」

「……」

「……」

「…………」

「…………」

 三十分ほどたった後、二人は沈黙していた。
 そして、先に口を開いたのはサグメであった。

「……すげぇね!?
 一文字も消えないんだけど!?」

 その言葉を聞いて、カガリはガックリとうなだれた。

「こ、こんなに難しいんですね……」

「いやいやいや、僕ぁ日本生まれ日本育ちなんで、音も字も日本訛りだし大抵の人は発声だけはできるようになるもんなんですぜ!?
 ちょいと念仏っぽく、呻くような感じで声を出したら、まずどこかしらは消えるんだけどねぇ……??」

「そんなあ……」

 思わずくしゃりと顔を歪めるカガリを見て、慌ててサグメがフォローする。

「……ま、まぁ最初だし、霊力も少ない体質なら仕方ねぇですわ!もうちょっとやってみやしょう!」

「は、はい……!」

「大丈夫、まだ講義は始まったばかりでさぁ!お昼までもうちょい頑張ってみやしょう!」

 二人きりながらもわいわいと授業をしているカガリたちを、四年生のコガとマキメはは順番待ちがてらこっそりとのぞき見ていた。

「コガくん、アレってもしかして……」

「ああ、アシヤさんが前言ってたやつだろうな」

「うう、そうだとしたらカガリちゃん、気の毒だなぁ……」

「何事も向き不向きがある。仕方ないことだ」

 二人はカガリたちに聞こえないよう、声を潜めて話している。これからの彼女の運命を憂うように。

「それはそうだけどさ、あんだけ張り切ってたのにね……」

 そう言ってマキメはため息を漏らす。

あの発声練習で祓の資質がわかるんだから、残酷というか、早くわかるだけマシというか……」

―――

 昼休憩を終え、サグメとカガリは再び向き直った。

「……よし!やりやすか!」

「はい!お願いします!」

 目の前には、午前中と全く変わらない状態のホワイトボード。

 通りがかりにそれを見たカスミは「そうか……」と口にしたきり、どこかに行ってしまった。

 上級生は発表が終わったため、机を並べ直して自習している。研究書を読んだり、新しい術の練習をしたり、内容は様々だ。アサギに至っては机でよだれを垂らして寝ている。

 パーテーションを隔ててはいるものの、隣で静かに勉強している先輩の横で、うまくいかない発声練習に勤しむというのは、言い得ぬ辛さがあった。

 小学生の頃、給食に唯一苦手なアスパラが出たとき、初めて掃除時間まで居残りさせられた当時を、カガリは思い出していた。

 声出しを続けるカガリたちの横で、ミヤモトは隣のマキメとひそひそ話を始めた。

「頑張ってますね〜、カガリちゃん」

「うん、こんだけやってるんだから流石に報われてほしいよね……」

「アサギくんも手こずってましたけど、午前中までにはなんとか半分消えてましたからね〜……」

「ゼミ史上初かもしれないね……」

 その途端。

 バァン!!と音を立ててゼミ室の扉が開いた。
 びくりとして全員が静まり返る。アサギもぎょっとして目を覚ました。

 扉の所には、シャワーを浴びてくせ毛がよりフワフワになったアシヤがいた。その顔には不機嫌が張り付いていた。

「ごにょごにょむにゃむにゃうるせえぞ!!下手くそが!!!」

 マキメが恐る恐る尋ねる。

「あ、アシヤさん、いつからそこに……」

「五分前だ!入口前で練習するな!入りづらいだろうが!」

 そう言った割にずかずかと入り込んだアシヤは、窓際の年季の入ったソファに勢いよく飛び込んだ。

「こっちは寝不足なんだよ!他所でやれよな!」

「そんなこと……!」

 取りなそうとしたマキメの前に、カガリは一歩踏み込んだ。

「ここはゼミ室です。ゼミのみんなが使う場所です。勝手に自分の所有物にしないでください」

 アシヤは半目でカガリをちらりと見てから、ごろんと背もたれに顔を埋めた。

「……そういうことは一つでも詞が読めるようになってから言え。発声もろくにできない不器量な奴はここにいたって時間の無駄だ」

 マキメはおろおろと二人を見た。カガリはアシヤの方を向いており、どのような表情をしているのかわからない。

「そんなのやってみないとわからないじゃないですか」

「いいや、わかるね。現に今できていないだろう」

「今できなくてもいつかできるようになります」

「いつかっていつだ?何日もやるようなことじゃないぞ。お前はもう既に遅れをとっているどころかスタート地点にすら立てていない」

「勝手に決めつけないでください!」

「僕が決めているんじゃない、お前自身の素質そのものが物語っているんだ。カスミさんたちが言わないなら僕が言ってやろうか?」

 アシヤは音もなく立ち上がると一瞬でカガリの目の前に立ちはだかった。
 その背はカガリよりも頭ひとつ大きく、その目はカガリの小さな顔を見下していた。

「こらアシヤ!」

 止めるサグメを無視してアシヤは話し続ける。

「その発声方法は練習も兼ねているが、実際は祓の資質を見るものだ。最初に消えた字、消えやすい字、消えにくい字で相手の得意不得意を判別するのさ。だがお前はどうだ?」

 アシヤはホワイトボードに歩み寄り、バン!と掌で羅列された文字を叩いた。文字は浮かび上がり、ひらひらとカガリの周りを舞って落ちる。

「一文字も消えない。これはお前に祓の素質どころか、祓に使うための霊力を全く持っていないという意味だ。詞が読めなければ祓なぞ学べるわけがない。だから時間の無駄だと言ったんだ」

 アシヤは再びカガリの方を見る。その目は激しい拒絶の色をしていた。

「真人間に祓を学ぶ資格はない。今からでもいい。修験道のゼミにでも行くんだな」

 そう言うと、さっさとカガリの前を横切り、再びソファに寝転んだ。背もたれの方を向き、数秒で寝息を立て始めた。これ以上話すつもりはないようだ。

 沈黙。

 目の奥を刺すような、心臓を握られているような、居た堪れない沈黙だった。

 それを破ったのは、ドアも閉めずに勢いよく駆け出していったカガリの足音だった。

「カガリちゃん!」

 慌てて後を追うサグメ。

「カガリちゃ……ん……」

 段々と弱々しくなる声と共に、うなだれるマキメ。
 ミヤモトも悲しそうな顔をしている。
 アサギは状況をうまく飲み込めていないが、空気を読んで小声で声をかけた。

「ヤバかったスね今の」

「うん……カガリちゃん、泣いてた」

「しょうがないですよ〜、初めてのことなのにあんな剣幕でボロクソ言われちゃったら〜……」

「てかあんなアシヤさん滅多に見たことないっスよ?むっちゃ怖かったっス」

「確かに、初対面の女の子相手にあそこまで言うなんて……」

「女の子、だからだろうな」

 コガがぽつりと呟いた。

「女性は元々妖に惹かれやすい。故にあっち側に引き込まれることが多い。だが霊力がなければそのことにも気づけない。自分が危険な道を進んでいるかどうかすらもわからない。
 祓は特に妖と密接な関係になることも多いし、厄介ごとを防ぐには自身の霊力がなければ難しい。ミヤモトたちも、危ない目にあったことはあるだろう?」

 三年二人は下を向く。思い当たる節は多かった。

「だから早めに違う道を進んで欲しかったんだろう。カガリは意志が強そうだったから、言葉もきつくなったのかもしれない」

 コガは読んでいた本にしおりを挟み、パタンと閉じた。

「……好意的に考えればな」

 そう言い残して去っていった。

「……まあ、あのアシヤさんっスからね……」

「そうだね〜……あのアシヤさんだもんね〜……」

「二人とも……言いたいことはわかるけど……」

 重い空気につられてどんよりとする三人。
 ふと、マキメは思い立つ。

 ゼミに入る前には、一年の冬に希望届を出す。
 そのためにゼミ室を見学したり、教授との面談が行われることを思い出したのだ。
 アシヤは去年の秋以降はほとんどゼミ室にいなかったので、見学の時にいなかった可能性は高い。
 しかしカガリとカスミは、少なくとも一度は面談をしたことがあるはずだ。

「……カスミさんは、なんでカガリちゃんを引き入れたんだろう?」

―――

 泣くつもりはなかった。
 けれど涙は勝手に溢れてきた。

 講義棟裏の階段に座り、カガリは涙がただ流れて地面に落ちていくのを見ていた。
 そうして胸の内で暴れ狂う感情が落ち着くのを待った。

 こうしているのはいつぶりだろう。
 心臓のあたりが、叫び出したくなるほど痛むのは。
 なぜこんな気持ちになるのだろう。

 アシヤさんの傍若無人な態度に腹が立ったからか。
 酷いことを言われたからか。
 時間の無駄だと罵られたからか。

 違う。

 あの時、サグメさんは悲しそうな顔をしていた。
 きっと最初の三十分で、私に素質がないことはわかっていたのだろう。

 それでもずっと、付き合ってくれた。
 できると励ましてくれた。

 その優しさを無碍にされたことが、たまらなく嫌だった。

 あの時、神経が焼けるような怒りを、アシヤさんにぶつけなくてよかった、と思う。
 少し冷静になってきたようだ。

 カガリが物音に気づき顔を上げると、困ったような悲しそうな顔をしたサグメがこちらを見ていた。

「……ごめんねぇ」

「サグメさん、こちらこそご心配をおかけしました」

「何言ってんの!曲がりなりにも先生である僕が止めなきゃいけなかったのに、僕何も言えなかったよ……」

 しゅんとするサグメは、叱られた後の子供のようだった。

「アシヤがあんなに怒るなんて久しぶりだよ。カスミもいなかったし、あそこで一番しっかりしなきゃいけないのは僕だった……」

「……いいんです。アシヤさんが何故私を拒絶するのかはわからないけれど……」

「ストイックな人ですからねぇ。何か理由はあるんだとは思いやすが、それがなんなのかまでは……」

 二人で首を傾げる。
 善悪の考え方が異なり、力も持たない。
 そんなカガリではやっていけないと踏んだのだろうか。

「……サグメさんは、カスミさんたちとどれぐらいの付き合いなんですか?」

「え?うーん、契約したのが三年ぐらいかなぁ、僕もまだまだひよっこなんでさぁ。契約したての頃は、カスミにもアシヤにもよく絞られてたっけ……」

 てへへと頭を掻くサグメはひょいとカガリの横に座った。

「だから、頑張ってるカガリちゃん見てるとつい応援したくなっちゃってねぇ……ホントのことも言うに言えなくなっちゃったんでさぁ。まっこと申し訳ない!」

「いえいえ!嬉しかったですよ、そのお気持ちが」

 笑うカガリの顔を見て、サグメも鋭い八重歯を覗かせてにこぉと笑った。

「ところでカガリちゃんは、どうしてここのゼミに入ろうと思ったんでやすか?」

「それは……」

「我慢強そうだし、修験道のゼミにいそうな子だなって思ってたでやすよ。……あ、向いてないとかじゃなくて!」

「一年の先生にも、クラスの子たちにも言われました。『絶対修験道の方がいい!』って。才能があるとまでも。
 でも、私はぎりぎりまで迷ってたんです。本当にそれでいいのかと」

「どうして?」

「……昔、妖の関係で怖い思いをしたことがあって。今でも少し怖いんです。
 それを克服したいと思ってはいましたが、修験道のやり方では
 ……その……納得いかなくて」

「……まぁ、あそこは人にも妖にも厳しいでやすからねぇ……」

 修験道は、霊験あらたかな山に籠り厳しい修行を行うことで”験力”を得る。
 その力をもって呪術を操るのだが、その力は妖と少し相性が悪いのだ。
 度の強い酒が殺菌力を持つように、自身を切磋琢磨して得た験力は浄化力が強い。

 よって、悪性の妖はおろか善性の妖にも必要以上の効果をもたらしてしまうことが多い。

「私は、悪いことをする存在は人でも妖でも絶対に許せません。でも、悪性の妖にも生まれた意味があるのだと思っています。それを人の力で無理やり運命を変えてしまうのは、違う気がするんです。
 お互いが納得のいくまで、話し合いをして、分かり合うのが正しい道だと思っています」

 語るカガリの目は、妖を理解したいという思いがこもっていた。
 その目をふと反らし、サグメはつぶやく。

「……優しいんでやすね、カガリちゃんは」

「え?」

「ううん。たしかに、その考えならきっとここの方がやっていきやすいと思いやす。初手で『悪を懲らしめる!』なんて豪語しちゃったから、アシヤさんも勘違いしちゃったんでやしょうね!」

「あ、そうか。あの時、緊張して言おうと思ってたことが全部飛んじゃったんです……」

「それならきっとそう話せば、アシヤさんもわかってくれると思いやすよ!」

「はい!ありがとうございます!」

「へへ……そうだ!これをあげやしょう!」

 ゴソゴソと懐を探って取り出したそれは、茶色がかった透明な石だった。成型されていないのかゴツゴツとしている。

「なんですか?」

「煙水晶の原石でさぁ!日本じゃまず取れないレアもんですぜ!魔除の効果があって、霊力がないカガリちゃんのお守りにぴったりだと思って!」

「えぇ!いいんですか?」

「うん!」

 日に当てると、煙水晶はきらきらとその光をカガリの瞳に写し出した。

「綺麗……ありがとうございます!」

「へへ……契約がなかったら、それを使って面白い術をお披露目できるんですがねぇ……」

「へえ、どんなのですか?」

 サグメはふふんと胸を張って説明した。

「僕は元々天邪鬼っていう鬼だったんで、人の心が読めるんでやす。石や鏡を使うとよりはっきりと見えるんですぜ。それを応用して、これからの君の運勢を占うこともできるんでさぁ!」

 一転、肩を落とすサグメ。

「……まぁ、今はその辺の力は取り上げられちゃってるから、なんにもできないんですがねぇ。つい癖で石や鏡は集めてるけど……」

 そこまで言って、サグメはハッとした。

「カガリちゃん!これならいけるかも!」

次話

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