サグメの考えは、石に宿る霊力を使って詞を発揮させるというものだった。
紙に先程の文字を書きながら指示を出す。
「まず石を握って、目を閉じて手に伝わる温もりを感じとってみてくだせぇ」
カガリは言われた通り、手の内の煙水晶に意識を集中させる。
しばらくすると、ひんやりした感触の石からじんわりとした熱を感じる。
「そのまま……さっき練習した文字の中で思い浮かぶものを唱えてみるんでさぁ」
カガリの意識は凪いでおり、頭には自然と浮かぶ字があった。それを口に出す。
サグメの息を呑む音が聞こえた。
「カガリちゃん!見て見て!!」
ハッと目を開けると、紙のちょうど中心にある文字が、消えていた。
「やったー!!」
二人は思わず抱き合い、成功の喜びを分かち合った。
「人によっては霊力そのものを寄せ付けない体質なんてのもあるからちょいと心配だったけど、やっぱりカガリちゃんはやればできる子でさぁ!」
「うぅ……ありがとうございます……!
サグメさんが教えてくれたおかげです……!」
「へへ、そんなぁ、照れやすねぇ……」
サグメはニマニマしている。
「マキメくんやアサギくんの時も大変だったけど、今回はイレギュラーが多いから、地道な努力が必要になりそうでやすねぇ……」
「そうなんですか?」
「まず、霊力が少ない。これは他の子もそうだったからいいとして。
次に、カガリちゃんは体内の霊力を外に出せない体質みたいでさぁ。これはもともとの霊力が少ない子に起こりえる体質。これも鍛える方法があるから、後々やってもらえば大丈夫。問題は……」
サグメはカガリの手元の石を指す。
「当分はその石を使って詞を使ってもらうことになると思うけど、その石とカガリちゃんの”性質”が違ってたら、術を覚え直してもらわないといけないかもしれないんでさぁ」
「え……」
「さっき詞にも属性があるって言ったでやしょう?その石は土と金の属性を持ってるから、さっきの字が消えたんでさぁ。頭の中にも浮かんできたでやしょう?」
「確かに……読めないけど自然に浮かんできました」
「その字は土属性。漢字で書くと”留”かな。石が使えるし、土属性の字が浮かんできたってことは、カガリちゃんは土属性か火属性の可能性が高い……ってことになるのかねぇ」
「ほぁ……」
カガリのよくわかってない表情に気づいたサグメは慌てて取り繕う。
「ま、まぁこの辺は追々勉強していけばわかりやすよ!
……ん、待てよ。”留”?」
サグメは何か思うところあったのか、カガリに背を向けごそごそと動いていた。
カガリの目だと、サグメの表情が段々と悪意を孕んだものになっていると気づくことはできなかった。
そして、振り向いたサグメの手には、一枚のコピー用紙。そこには一つの字……のようなものが書かれていた。
「これは?」
「本物の詞でさぁ。といっても簡単なもので、今日はこれぐらいの詞を使えるようになってもらう予定だったんだ」
「そうなんですね!どういう意味の詞なんですか?」
「さっきカガリちゃんが消したのが、吸収系の字だったから、簡単な術を吸い込む詞でさぁ!これなら使えるはずですぜ!」
「ほんとですか!」
「うん!早速やってみやしょう!」
「はい!」
張り切るカガリを前に、サグメは微笑む。その目は、妖しい光をたたえていた。
―――
文字通り、サグメは手取り足取りカガリにやり方を教えた。
構え方、重心の置き方、具体的なイメージ……。
「意外と奥深いんですね……!」
「初めて技を出す人は、その反動で怪我しちゃう人もいるから、念のためね。……あ、そうだ!」
サグメはカガリの正面に立ち、二、三歩後ろに下がった。
「僕が軽い風を起こすから、それを手の平に吸い込むイメージでやってみてくだせぇ!」
「はい!それならイメージしやすいです!」
「よし、そろそろいってみやしょう!さぁ、石に集中して、声に出してくだせぇ!」
「は、はい!」
再び、カガリは目を閉じて意識を統一させる。
自分に届く風を吸い込む。
術を取り込む。吸収する。
脳内の思考を、文字として鮮明に書き出していく。石の熱が伝わる。
少しして、ぬるい風が頬を撫でた。
それと同時に、カガリは声を発した。
風だというのに、掌には確かな手応えがあった。
同時に、サグメが「ぎゃっ!」と叫び転がるような音がする。
とっさに目を開け、辺りを確認する。
近くにサグメはいない。下の階段を転げ落ちたようだ。
「サグメさん!?大丈夫ですか、サグメさん!!」
慌てて階段を降り、抱き起こす。
妖だからかほとんど外傷はないようだが、気を失っているようだ。
「サグメさん!」
何度か名前を呼び、体を揺らすと、サグメは目を開けた。
カガリが胸を撫で下ろしたのも束の間。
その異変には一瞬で気づいた。
サグメの深い真紅の瞳。
その二つの目が、金色に光っている。
ゆらりと立ち上がったサグメは、先ほどまで話していた妖とは異なるものだ。
煙水晶を握ると、その警鐘はより大きく鳴り響く。
無意識にカガリの足は震え、後退りして妖と距離をとっていた。
からん、ともみあげに結ばれていた髪飾りが落ちる。
ゆっくり顔を上げた妖の顔には、赤い隈取りが目元に増えていた。
鋭い犬歯を光らせ、サグメだった妖はにやぁと笑う。
「ありがとさん」
―――
立ち上がったサグメは、カガリに向かって素早く石を投げた。
突然の動きに反応が遅れ、石はカガリの頬を掠める。
「ど、どうしたんですか、サグメさん!」
「見ての通りだよ。アンタが解呪の詞を唱えてくれたおかげで、僕は自由になったのさ」
「そんな!さっきは術を吸収する詞だって……!」
「間違ったことは言ってないよ。
僕にかけられた契約……それは”字”が込められた髪飾り。
どんな契約かはもう調べてある。言葉にするなら『従順』だ。
厄介だよねぇ……『拘束』でもなく『隷属』でもない。縛られたなら断ち切れる。権力で従えるなら奪えばいい。でもこれは、意識に働きかける”字”だ。流れる水のように掴みどころがない。
それを打ち消すことができる”字”を僕はずっと探していたんだ。
流れる水を堰き止める、『留処』をね」
「そんな……私の力でそんな簡単にできるはず……」
「もちろん、できるとは思ってなかった。でもふざけ半分、面白半分でやってみたらどうだ、あっさりできたじゃあないか。物は試しだねぇ」
サグメは一歩前に出る。カガリは思わず後ずさろうとした。
金色の眼。見覚えがある光。
カガリはその眼を見て、足が完全にすくんでしまっていた。
「自由になって仕舞えば、君はもう用済みさぁ。
んじゃ、さっきの煙水晶、返してもらおうか?」
「え……?」
サグメがくれた煙水晶。
カガリを元気付けようと渡してくれたもの。
カガリに力を与えてくれたもの。
サグメはそれをあっさりと、返せと言い放った。
「まあ、そりゃ嫌だよね?
君はそれがなきゃなんにもできない凡人なんだから!」
言いながら、サグメはまた石を投げた。
咄嗟に腕を出して顔を庇う。鈍い痛みが腕に響く。
腕を下げると、サグメはもう目の前に来ていた。
肩を掴まれ、地面に叩きつけられる。
押し倒された状態にいながらも、カガリは握りしめた石は離さなかった。
「やめてください……サグメさん……!」
「強情だねぇ。石を返せばすぐやめてあげるのに」
「それは……できません……!」
「無力な自分を認めなよ。君には霊力がない。石に頼ったところで、いずれ限界が来る。とっとと返して辞めちまいな!」
サグメは折らんばかりの強い力で手首を握りしめる。ミシミシと鳴る骨の痛みに、カガリは思わず悲鳴を上げた。
その声が響くのと、一枚の紙飛行機がカガリの視界に入るのは、ほぼ同時だった。
―――
「言わんこっちゃない」
紙飛行機と思われたそれは、折り畳まれた紙札だった。
それはひらひらと舞っていたかと思うと、サグメの上にきた途端ピタリと止まった。
札から幾枚もの木の葉が降り注ぎ、サグメたちの周りを覆った。その葉はカガリに触れても何も起こらなかったが、サグメに触れるとカッターの刃のように鋭く皮膚を切り裂く。
「ちっ!」
サグメはどんと拳で地面を叩き、跳ねた小石を風に巻き込み木の葉を叩き落とした。
そのままカガリの首根っこを引っ掴み、札が飛んできた方から数メートル飛び後ずさった。
カガリが恐る恐るそちらを向くと、そこにはくせ毛の眠そうな目をした男が立っていた。
「あ、アシヤさん……」
「まんまと騙されやがって。しかしカスミさんは何考えてんだか……」
「やっぱりアシヤか。君のことだからすぐ気づくとは思ったけど」
サグメはにこりとアシヤに微笑みかける。しかしアシヤは機嫌が悪そうに眉を顰めている。
「でも心配しないで!こいつから煙水晶を返してもらったら、大人しく僕は消えるよ。自由にしてもらった恩があるからね」
「どの口が言ってんだ天邪鬼。お前の考えてることなんか隠す以前に見え見えなんだよ。御託はその馬鹿を放してから言え」
「うるさいなぁ、僕は君やカスミみたいなのにぐちぐち言われるのはもううんざりなんだよ。力は戻ったし、君も人質がいれば下手な真似はできないだろう?」
アシヤはチッと舌打ちをして、より凶悪な目つきでサグメを睨む。
「一応聞くが、条件は何だ?」
サグメはふふっと息を漏らす。その目は笑っていなかった。
「僕を半永久的に自由にすること。そして、僕の行動全てに今後一切干渉しないこと」
それを聞いたアシヤは仰々しくため息をついた。
「それができないから契約したんだろうが」
「裏技を使えば破棄できる契約を結んだのが悪いのさ!どうする?君のせいで人が痛い目に遭うのは避けたいだろう?」
「……無理だと言ったら?」
「……こうするだけさ」
サグメは懐から小さな手鏡を取り出し、天に翳した。陽の光を反射した鏡は激しく瞬き、カガリの視界を奪う。
「おい!そいつの術に惑わされるな!」
叫ぶアシヤの声は、だんだんと遠ざかっていく。
カガリの意識は、白い世界に取り込まれた。
―――
泣き声。
誰の声だろう。
女の子のようだ。
まだ幼い。
迷子だろうか。
両親はどこに行ったのだろうか。
両親。
お父さん。
お母さん。
お父さん、どこにいるの。
お母さん、置いてかないで。
わたしをひとりにしないで。
閃光。
バリバリと劈く轟音。
目の前が暗闇に包まれた。
外はざあざあと雨音を立てている。
なんだか、体も濡れているようだ。
じっと目を凝らす。
閃光。
その光で見えたもの。
私の手は、服は、真っ赤に汚れていた。
「……え?」
顔を上げる。
二つの金色の光。
それは眼だ。
私を見ている。
どしゃどしゃ、と二つの塊が落ちるような音がした。
閃光。
金の眼の何か。
その足元に、二つの大きな塊が転がっていた。