『河童』承の章(弐)

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 一瞬の出来事だった。

 石尽くめの床に倒れている人間が一人。突っ伏しているため、アシヤたちの目から表情を読み取ることはできない。

 アシヤ以外、今現在の状況を理解している者はいなかった。

「……なんで?」

 そう呟き、倒れている人間を見下ろしたのは、カガリ。

 そう、倒されたのは老人だった。

 数十秒前。

 老人がカガリに掴みかかろうとした刹那。

 カガリは老人のウィークポイントを即座に見抜き、流れるような早技で巴投げを繰り出したのだ。

 投げ技はカガリの得意技。まっすぐ向かってくる相手に負けることはまずないのだった。

「一体何が起きたんですか?

 説明してくださいアシヤさん!」

 アシヤは現状がさも当たり前のように、涼しげな顔をして立っている。

「……河童は相撲が好きなんだ。

『頼もう』と叫ばれたら応じずにはいられないのさ」

「はぁ……?」

「ここにかつて河童がいたのなら、相撲の文化も根付いているはずだ。

 朝、澄田家にちびっこ相撲大会のポスターが置いてあった。子供らに配るためだろう。今年で百六十五回か……すごいな。

 今でこそ人が減ってその文化は薄れているかもわからんが、年配の方なら大体通じるはずだ」

「……つまり、ここには河童と相撲の文化があるから、勝負を挑めば向こうから来てくれると思った……ってことですか?!

 ほんとに突拍子がないですね!」

「突拍子?なきにしもあらずさ。見ろ、この人は相撲大会の運営者だぞ?血の気が多いに決まってる。ほら、ここに顔写真が載ってるだろ」

 見ると、チラシにはコメントと共に顔写真が載っていた。

 運営者から一言

 相撲とは、魂と魂のぶつかり合いです。大事なのは絶対に負けない心です。特訓ならいつでもつきあうからな!

 ××川管理人 道長雄三

「うぅ……」

 老人がゆっくりと起き上がった。その顔は、チラシの顔写真と同じだった。

 それを見てカガリはハッとして老人に駆け寄る。

「すみません!大丈夫ですか!?」

「……いやあ、あまりの威勢のいい声に思わず飛んできたが……まさかこんな小さなおなごに投げられるとは。わしも老いぼれたなあ……」

「……」

 カガリは不服そうな目でアシヤを見つめた。

 言いたいことは山ほどあるが、それを一つ一つ聞いて説明してくれるようなアシヤではないだろう。

 それでもカガリは言わずにはいられなかった。

「こんなのアリなんですか……!?

 そりゃ私もすごい勢いで掴みかかられたからつい投げちゃったけど……!」

 アシヤは老人……もとい管理人の腕を掴み、ひょいと引っ張り上げた。

「まあ、そんな目で見るな。これで河原には入れるようになったからさ」

「……え?そうなんですか?」

 立ち上がった老人は、足元を払いながらもニコニコしている。

「ああ。こうも力の差を見せつけられてしまってはなあ!」

「縁を結んでしまえばこっちのもんさ。めでたく僕たちはここの関係者となったわけだ」

「……どういうことですか……?」

「それはさっきの場所を通ればわかる。」

 アシヤがするりとカガリの前を抜け、先程閃光が走った場所を通る。カガリはつい一瞬身を固める。

 ……だが、何も起こらなかった。

「……なんともない?」

「さっきお前がぶち当たったときに結界の種類は見当がついた。

『関係者以外立ち入り禁止』という言霊を利用して、管理人が部外者との関わりを断つことで結界を張っていた。

 だからガードの緩そうな“関係者”と縁を結べば、“関係者”の“関係者”となり、

 入れるようになるってわけだ」

「ここら一帯は結構広いからな。結界を破られないようにするには、どうしても一人番をする奴が必要だった。わしはもう身寄りもいないから、適任だったわけだ。

 御霊会までは結界を破られないように、誰とも口を聞かないよう言われていたんだ。

 それでもいたずら坊主や、他所の学生たちがわしにちょっかいをかけてくることもある。黙って片っ端からぶん投げてやったら、すぐに逃げていったがな。

 ……しかしまさか、わしが投げられるとは!相撲じゃ負けなしだったのになあ!世の中は広いなあ!わはは!」

 管理人が笑いながらアシヤの言葉に補足を加えた。カガリがあまりに何も理解できてないという表情をしていたからだろう。

 ようやく、無理やり状況を呑み込んだカガリは、ハッとした。

「……神主さん!神主さんだって関係者ですよ!結界を張ったのも神主さんでしょう?お話すれば通してくれたんじゃないんですか?」

「どうだかね〜。

 今日村に来てから一度も顔を見ていない。

 奥さんは準備に出かけてるって言ってたけど、当日まで会えないと思うよ。

 神聖な儀式に、穢れはご法度だからね。

 ……さて、中を調べるか……」

「……アシヤさん!」

「なんだよ」

 アシヤはのっそり振り返った。この人間と出会って数ヶ月。様々な出来事を通して、彼がどのような人間なのか理解しつつあると、カガリは思っていた。それでもいまだに、彼の言動の意図がわからなくなることは多い。

「もっとこう……穏便なやり方ではなんとかならなかったのでしょうか?

 なんだかこれってすごく強引だと思うんですけど……」

「……」

 アシヤは斜め下に目をやり、少し考えているようだった。カガリはその顔から彼が何を思っているのか推し量ることはできなかった。

「……妖のいる世界に人間の常識は通用しない。1年の授業で口酸っぱく言われなかったか?君は”そっちの世界”にとっくに足を踏み入れてるんだ。もっと自覚を持った方がいい」

 アシヤはスッと河原の方へ歩いて行った。砂利道だというのに、足音はしなかった。

 カガリは離れていく距離に、アシヤの心に隔てられた厚い壁を感じながら、ぼんやりと呟く。

「……やっぱりこんな感じになるのかあ……」

 ―――

 河原は広く、流れている川も向こう岸に渡るには少し深かった。ただ、建物もなく開けているため少し見回せば何があるかはすぐにわかった。しかし……。

「……見た感じ、変わったところはないですね」

「ああ。だが……」

「?」

「慰霊碑がないな。地図によると河原付近にあるはずだが」

「ここは中流ですから、もっと上流か、下流の方にあるのかもしれませんね!」

「ふむ。どちらから探すか……」

「上流から行きましょう!記念碑って大体山の上にあるイメージですし!」

「記念碑じゃなくて慰霊碑な。まあ可能性はなくはないな。

 だが山の上……か」

 アシヤは面倒くさそうにカガリを見る。賛成したのは彼だというのに。

「何こっち見てんですか!登りたくなくても我慢してくださいよ!

 私じゃ妖がいるかどうかもわかんないんですから……」

「……ちっ」

「ほらほら行きますよー!

 なんならおぶって行きましょうか?」

「却下。

 誰がお前の手なんか借りるか。ったく……」

 アシヤとカガリは川沿いに山を登っていく。想像していたより勾配はなだらかで、スムーズに登っていくことができた。

―――

 上流付近にて。

 川の水はより澄み、小魚が群れをなして泳いでいるのを視認できるほどだった。

 遠くには勢いよく音を立てて水を打つ滝が見える。

 その途中、探し物は見つかった。

「……祠はこれだな」

 簡易的ながらもきちんと供えられた腰ほどの丈のある石碑と、そこに繋がる木造の門があった。

 石碑は地面に接している箇所は苔むしており、経年変化により土のように色褪せていた。しかし手入れされているのか、目立つ汚れはなかった。

「いろいろお供えしてありますねー!」

「きゅうりに鮎、スイカに桃……か。

 好物は通俗的な河童と変わらないみたいだな」

「河童が祟るなんて、不思議な話ですよね。

 村の人だったら昔のお話も聞かせてくれるかも……。

 ……アシヤさん?」

 祠の門の前に立ったアシヤは、顔から血の気が引き、険しい表情をしていた。

「……神主は、このような状態で何も感じなかったのか?」

「どうかしたんですか?顔真っ青ですよ……?」

 アシヤは素早くカガリの前に腕を出した。

「下がれ。門に入ると当てられるぞ」

 カガリの顔も蒼ざめる。

「ひょっとして……いるんですか?河童の幽霊……」

「ああ。しかもかなりご乱心のようだ。

 誰だよ……こんな所にのこのこと供え物をしたやつは……。うっ!」

 アシヤは手で口を覆った。

 気分が悪くなるほどの瘴気らしい。

「とりあえず離れましょう!

 よくわかんないけど嫌な予感がします……!」

 そのとき、凄まじい勢いで小さな“何か”が飛んできた。

 方向は、アシヤを向いている。

「危ない!」

 カガリはとっさに手を出し、それを受け止めた。

「!」

「いた……っ!」

 受け止めた手を開くと、尖った石だった。

 途端手の平から血が流れ出し、河原の石に点々と赤が付いた。

「……降りるぞ。

 どうやら奥さんの言っていたことは間違いじゃあなさそうだ」

 ―――

 川を降りると、管理人がいた。

 管理人には川の石の中に割れたガラスが混じっていて、それを触って切ってしまった、と伝えた。

 そのまま伝えれば騒ぎが大きくなってしまい、調査が進まなくなることを恐れての行動だった。

 小屋にあった救急箱で手当てをしていると、管理人が口を開いた。

「……災難だったな。

 最近は河原の手入れもままならんから、何処かから流れてきたガラスもそのままになっとるんだろう。あとで探して回収しておくよ」

「……ここって、やっぱり、出るんですか?」

「ああ、あんたらも子供の噂を聞いたのか。

 所詮噂は噂だ。子供の悪戯だと思っているよ。

 しかし、それで御霊会が妨害されてしまってはかなわんからな。

 こうして番をしているというわけだ」

「大事な行事なんですね……」

「ああ。幽霊とか呪いとか、そういう話は詳しくないんだが、

 御霊会は別だ。ワシが子供のころに死人が出たからな」

「し、死人?」

 管理人はしまったという顔をした。久々に人と会話したからか、不要なことまで喋ってしまったと思ったようだ。

 しかし口に出してしまった手前、そこには話の続きを知りたがっている二人がいる。

 管理人は恐る恐る話し始めた。

「普通の死者なら単なる偶然だと思ったんだがな。

 原因が河童の仕業としか思えなかったんだよ。しかも数が多かった。

 七人だ。七人、同じ死に方をした。

 御霊会当日、そいつらがいないことに気づいた村の奴らが、探しにいったんだそうだ。

 七人の中には、神主関係の人間もいたからな。

 そいつらはすぐに見つかったよ。相当目立つ所にいたからな。

 誰も行けやしない上流の木の枝に、そいつらはぶら下がっていた。

 俺は親にすぐ目を隠されたのと、逆光とで人っぽい影としか認識できなかったが、あの光景は忘れやしない。

 滝を背後に七つの大きな影が、蓑虫みたいにゆらゆらと揺れてんだ。

 気味悪かったなあ…。

 無論、村は大騒ぎでさ。御霊会どころじゃなかったんだけど、御霊会をしなけりゃもっとひどくなると踏んだ当時の神主…流ノ介の父さんが、特別な儀式をしたらしい。それでその年はなんとか収まったらしく、来年以降も被害は出なかった。

 おっかなくて、それ以降俺は御霊会だけは毎年ちゃんとやろうって決めてんだ」

「……」

 凍りつくカガリを尻目に、ずっと黙っていたアシヤが口を開いた。

「……因みに、死因はなんだったんですか?」

「ああ……窒息死さ。絞殺ってやつかねえ……」

「こ、絞殺!?」

 カガリは思わず立ち上がろうとした。

 アシヤはそのカガリの肩に手刀を喰らわせ、無理矢理座らせた。

「あ、ああ……。全員、首元に長い指のような鬱血した跡が6本付いてたんだと。

 変だよな、6本って。人の指なら10本だろうに。

 やっぱりあれは河童だったのかなあ……」

「……その年、何があったんですか?」

「……確か。御霊会の1週間ほど前だったか。あの川に、赤子が流されたんだ。まだ生まれたばかりの赤子が。

 当時は雨も降っていて流れも早く、遺体が見つかったのは御霊会の3日後だった。赤子の母親は、気が抜けたように呆然としていたが、その後御霊会の日に七人の仲間入りをしちまった。

 赤子が河童を呼んだんだって、村の奴らは言っていた。しかしなぜ、七人も亡くなったのかは分からずじまいだった。死人に口無しだから、な」

 二人は顔を見合わせた。

 奥方の状況とよく似た死者。河童の祟り。赤子の死。何か関係があるのだろうか。

「……お話しいただき、ありがとうございました。そろそろ、澄田さんのお宅に戻ります」

 そう言って、アシヤは立ち上がった。知りたいことは全て把握したかのように。

「そうだ!あんたら、御霊会について調べてんだろ?なら役場に行くといい。昔の資料はそっちで保管されてるはずだ」

「!……助かります」

「なあに。こんなへんぴな村にわざわざ研究に来るやつなんか滅多にいないからな。色々見せてくれるだろうよ。嬢ちゃん、次は負けんからな!」

「はっ、はい!望むところです!」

 帰りながら、カガリは管理人が見えなくなるまでペコペコとお辞儀していた。

 アシヤは考え事をしているようだった。カガリが話を振っても生返事ばかりで、何も話そうとはしなかった。

「さっきの話をレポートに書くのは良くないよね……」

 カガリはそんなことをぼんやりと考えた。ズキリと、手のひらの傷が痛んだ。

 河童はまた、同じことを繰り返そうとしているのだろうか。奥方の身に何があったのだろうか。この村で、何が起ころうとしているのだろうか。

 橙色に染まりゆく空と刺すような西陽が、様々な思惑が渦巻く小さな村を見下ろしていた。

次話

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