『河童』結の章

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「そんなの駄目ですアシヤさん!
 それじゃ解決したとは……!」

「奥さんは『正体を教えてほしい』とだけ言った。僕たちの依頼はさっきの時点で完了したんだ」

「違います!真緒さんを助けるまでが私たちのやるべき仕事です!」

「それはお前が勝手に決めたことだろう。
 悪い偶然が重なったとはいえ、河童の怒りを買ったのは奥さん自身だ。命一つで足りるなら安いもんだ」

「……納得いきません!」

 カガリは縄の中に入ろうとするも、アシヤに首根っこを掴まれ、そのままぶん投げられた。

「お人好しも大概にしろよ!
 なんならお前が奥さんの代わりになるか?
 それともこの人を無理やり連れ戻して村全体に被害を与えるのか?
 そっちの方がよっぽど悪い結果なんじゃないのか!?」

「……!!」

 アシヤは、こうなることを予測していたのだろうか。何もできないと知った上で、奥方の依頼をこなそうとしていたのか。

「……お前にはわからんだろうがな。河童の霊をここまで大きくしたのは奥さんだ。自分で自分の首を絞めているようなものだ。奥さんが自分を責め続ける限り、この呪いはもう誰にも止めることができない」

 アシヤの口調は淡々としていたが、その目にはほんの僅かな苦しみが見えた。
 そして聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟く。

「……死が救いとなることもある、か」

 呆然として、奥方を見る。ミシリ、と嫌な音が聞こえた。腕が力を強めたようだ。
 よく見ると、手こそ河童の形をしているが、その腕は細くしなやかで、まるで女性のようだった。

 奥方は、己の首を絞めていた。

 殺すためではなく、苦しめるために。

 ふと、噛み殺すようなうめき声が聞こえる。横を見ると、神主が静かに涙を流していた。

「私のせいで……私が自分のことばかり考えていたから、こんなことに……」

 カガリはハッとした。
 本当にそうなのか?
 相手を思った上でのすれ違いではないのか?

 この人たちは、誰も傷つけようとしていないじゃないか。

「……交渉しましょう」

 アシヤは、その日初めてカガリの目を見た。

「あ?」

「誰も死ななくていい方法を見つけるんです。
 河童の霊に事情を伝えて、謝って、裁量を軽くしてもらうんです!」

「おい、そんなの……」

「アシヤさんの得意分野でしょ!
 妖には妖の言い分、人には人の言い分があるんです。相手が強いからって妥協する理由にはなりません!そんなの共生だなんて言えませんよ!!」

 一息に捲し立てた。アシヤは呆れたような顔で、カガリを見つめていた。

「……勝ち目はあるのか?」

「わかりません!ただ心を込めて謝るのみです!」

 アシヤは天を仰ぎ「なんだこいつ……」とぼやいている。

「そ、それでも駄目なら、力尽くでも……!」

「……それだ」

「え?」

 アシヤはすっくと背を伸ばし、いつものヘラついた顔が活気を取り戻した。

「たった今非常に崇高な案を思いついた!
 しかもこの愚直脳筋が役に立ついい機会だ」

 二人は、ポカンとしていきり立つアシヤを見つめる。

「まあこの案を通すには僕が相手を丸め込まないといけないわけだが……わけないさ。黙って見てるといい」

 アシヤは黒雲に向き直り、詞を唱え始めた。
 その内容は、カガリにはわからなかった。
 おそらく、神主にもわからないのだろう。息を呑んで見つめている。

 黒雲はモゾモゾと腕から形を変え、奥方の首から離れた。

「真緒!」

「すごい……流石ですアシヤさん!」

「じわじわと絞めていたおかげで助かった。まだ息はある。
 だが……問題はここからだぞ」

 神主が奥方を縄の外から出した途端、布団が取り払われ、畳に白線が引かれる。
 そして黒雲は姿を変え……。

 水掻きを持った、筋肉質な腕と足。
 背中には甲羅。頭にはひだのついた皿。

 どす黒い河童の姿が、そこにあった。

 ―――

「……なんですか、これは?」

「相撲だ」

「え?」

「河童は相撲が好きだろう。
 ここにあんたらより相撲が強い奴を連れてきたから、お前が勝ったらお咎めなし。負けたらここにいる人間全員祟り殺してもいいという話だ」

「本当ですか!」

「ちょ、そんな、無謀すぎる!そんな小さな体で出来るはずが……!」

「腕が鳴りますねえ!」

「ええ……」

「言っとくが、さっきかなり馬鹿にされてたぞ。細かいことは抜きだ。強い者が勝つ。ほら、とっとと行け」

「はい!」

「そんな……原因は私たちなのに……
 あの子に責任を押し付けるなんて……」

「あいつは見かけによらず筋肉馬鹿なんですよ。
 しかも一度決めたことは絶対に曲げない、愚直脳筋です。
 今ここでなんとかできる奴はあいつぐらいなんで、やむを得ません」

「でも!相手は怒れる妖ですよ?」

「そこらへんはまあ、僕も賭けです。
 やらないよりはマシだ。それに……」

 アシヤは準備を整えるカガリを見て、ふうと息をついた。

「どうもあいつは本気で世界を変えるつもりらしいんでね。
 この程度で負けてちゃただの馬鹿だ」

 カガリは準備ができたのか、振り返る。

「なんですかー?応援ぐらいしてくださいよー!」

「負けたら殺す」

「やだなー!アシヤさんの手を借りるまでもないですよ!」

 カガリはしばし深呼吸をして、精神を整えた。

 縄の中に足を踏み入れる。
 目の前には黒々とした河童の姿。
 怒り、憎しみ、後悔といった負の感情の中にも、ピリピリとした闘志を感じる。

 カガリは肩幅に足を開き、腹の底から声を出した。

「たのもーーー!!!」

―――

 カガリの掛け声が響き渡ると同時に、戦いの火蓋が切って落とされた。

 空気を揺らすほどの勢いで、お互いの体がぶつかり合う。
 河童は、カガリより一回りも大きな体を揺らし、彼女の足を土俵際まで追い詰める。

「ああ!やっぱり強い……!」

 目を覆いそうになる神主を横目に、アシヤはただ静かに見つめている。

「ぐぐぐ……!」

 カガリは柔道黒帯だ。その他のスポーツも心得ている。
 腕力や足腰は一般女性のそれより遥かに強いが、それでも大柄な相手となるとてこずってしまう。
 故に彼女は技術を磨いた。相手の力を利用するのだ。推進力を受け流し、投げようとする相手を投げる。

 カガリは目の前の相手の動きを見極め、さっと横に切り返した。
 河童は勢い余ってつんのめり、縄の外を越えそうになる。

「おお!」

 しかし相手は熟練者だ。そう易々と負けはしない。
 土俵際で踏ん張り、体勢を素早く整えた。

 一瞬、時が止まったかのようにお互いの動きが止まる。

 河童の顔は暗く泥をかぶっているかのようで、表情は読み取れない。しかし、カガリを馬鹿にすることはやめたようだ。
 地響きが鳴らんばかりの四股を踏んだ。

 カガリはそれを見てニッと笑う。

「……油断してあっさり投げられないようにしてくださいよ!」

 ―――

 川のせせらぎの音が聞こえる。

 地に足はしっかりとついているのに、心地よい浮遊感がある。

 ざあざあという音に紛れて、声が聞こえる。

 子供の声だ。

 遊んでいるのだろうか。

 興奮しているのか、時折金切り声が耳をつんざく。

 ざらざらとした砂利が足を刺す。

 今の私と、河童たちの取り組みが重なる。

 歓声。野次。そのどれもが暖かい。

 暗雲。

 突然、周りの河童たちが苦しみ始めた。

 喉を押さえて血反吐を吐き、ばたばたと倒れていく。

 遠くに人影が走り去って行くのが見えた。

 手を伸ばそうとしたが、縄の外には出られない。

 あとには、目の前の彼だけが呆然と立ち尽くしていた。

 ……人の手で滅びたというの?

 彼は、じっと私の目を見つめている。

 そこには怒りも悲しみもなく、ただ虚空だけが映っていた。

 ……。

 ぐっ、と拳を握る。

 腰を落とし、彼を見据えた。

「……来い!」

 私には、貴方たちの無念の大きさは計り知れないけれど。

 それでもこうやってぶつかり合うことはできる。

 この衝撃が、この痛みが、私にとっての現実。

 だから、私も全力でぶつかろう。

 ――現在を生きる人たちのために。

 ―――

 どれだけ時間が経ったのだろう。

 熾烈なぶつかり合いだった。

 神主とアシヤはただ見守るばかりだ。

「……どっちが勝つんだ……?」

「さてね。でもまあ、あいつは粘り強いですから。
 ……それに、これは勝ち負けの問題じゃないんですよ」

「え?」

「そろそろ、聞こえてきませんか?霊力が戻りつつある今なら」

 神主はハッと辺りを見回した。
 試合に刮目するあまり、何が起きているのか気づかなかった。

 霊力が、戻ってきている。

 それに気づいたと同時に、歓声は聞こえてきた。

 野次るような嫌な空気ではない。
 見えない何かは両者の健闘を称えていた。

『いいぞ!』

『そこだ!あっ!あぶねえー!』

『ここまできたんだから負けんじゃねえぞー!』

『おいチビ!踏ん張りが足んねえんじゃねえかー!?』

『いけー!』

 方々から聞こえる、興奮有り余る声。
 これは現実なのか。夢のような、浮世離れした空間が、そこにあった。

「彼らのボルテージもだいぶ上がってきたみたいですね」

「こ、これは……」

「勝ち負け以上に大事なのは、河童を納得させることだ。あっさり負けても勝ってもつまらないんですよ。そういった点でみると、あいつは適役だ」

「河童を……納得させる……こんな方法で……?」

 鳴り止まない歓声。汗が飛び散り、キラキラと光る。お互いの体力は限界に近い。

 一旦距離を取り、じりじりと間合いを詰める。

「なかなか、やるじゃないですか!」

 汗を拭い、不敵な笑みを浮かべるカガリ。
 その姿に、アシヤは野次を飛ばす。

「おーい、そろそろ勝たなきゃ死ぬぞー」

「……わかってますよ!
 河童たちの怒りも、真緒さんの後悔も、お子さんの寂しさも、全部まとめてブッ飛ばします!」

 お互い、見つめ合う。目は見えなくとも、カガリの目を見ていることはわかる。

 取組を通じて、安らかな眠りを妨げられた河童たちの怒りを知った。
 かつては人と共に歩み、人を愛していたことを知った。
 その愛した人たちの手で住処を汚され、滅びていった河童たちの無念を知った。

 しかしそれは過去のこと。
 現在を生きる者たちを妨げる理由にはならない。

 河童。
 澄田家。
 赤子。

 それぞれの時を進めるために、カガリは足を踏み出す。

 駆けたのは、ほぼ同時。

 ……まっすぐ向かってくる相手に負けることはない。

 カガリは前に出る相手の力を使って腕をつかみ、懐に飛び込んだ。

 ―――

 一瞬の静寂。

 倒れているのは、大きな河童。
 何者かが呟く。

「……勝負あり」

 同時に、わあわあと鳴り響く歓声。
 何やら光るものが飛び交っている。座布団のようだ。それは地面につくと同時にふわりと消える。

『やったー!!』

『ちくしょー!あいつは俺らの中で一番強かったのに!』

『チビ!やるじゃねえか!』

『あいつに賭けときゃよかった……』

『いやぁ、あっぱれあっぱれ!いい取組だった!!』

 破れんばかりの歓声は、次第に遠くなっていく。

 そして最後に、倒れたままの河童が一人。

 呆然としているようでも、余韻に浸っているようでもあった。

 カガリは呼吸を整え、静かに手を差し伸べる。

「……いい勝負でしたね」

 河童の喉元が震え、目の前の河童は初めて声を発した。

 ……きゃっきゃっ。

 それはまるで、赤子の笑う声のようだった。

―――

 夢を見ていた。

 あの子が隣にいる。

 楽しそうに笑っている。

 誰かと遊んでいるのだろうか。

 ……。

 ああ……。

 本当は、貴方と共に生きていきたかったけれど。

 ごめんね。

 もう、大丈夫だから。

 待たせてごめんね。

 私のところに来てくれて、ありがとう。

 一緒にいてくれて、ありがとう。

 あの子が、私の目を見た。

 笑っている。

 きっと、私も。

―――

 蒸し上がりそうな暑さ。
 蝉はわんわんと空気を揺らす。

 二日前歩いてきた畦道を、二人はゆっくり歩いていた。もう待ち合わせの予定はない。それぞれの家路に戻るだけだ。

 ふと、口を開いたのはカガリだった。

「……河童たち、もう怒ってませんかね?」

「……でなきゃあの時、あんなにあっさり消えやしないさ。現に僕たち生きてるし。御霊会もつつがなく遂行された」

「……ですよね!」

「しかし……」

 アシヤ、河原を見遣る。
 子供たちが浅瀬で遊んでいる。
 その横では……。

「昨日の今日で、ちびっこ相撲大会を決行するとは誰も思わなかったろうな」

「流ノ介さんたち、意外と行動力ありますよね!それに村の人たちもこんなに集まるなんて……。ほんとにみんな相撲好きなんですね!」

「どうも君の馬鹿力に感銘を受けたそうだよ。
 よかったねえ馬鹿力で!」

「はい!河童たちの魂もきっと盛り上がってますよ!」

「今のは皮肉なんだがね」

「それに、奥さんも良くなりそうで安心しました」

「あんなに礼を言われるぐらいなら、もう少し報酬を貰ってもよかったな」

「もう!現金ですねえ!」

 むっと頬を膨らませた彼女は、ふと思い立ったように表情を曇らせる。

「……真緒さん、立ち直れるでしょうか……」

 奥方が目を開けたのは明け方のことだった。
 上りつつある太陽を、飴細工のように透き通った黒い瞳が見つめていた。

「……さあな。そこまで面倒は見てやれない。
 ……しかし」

 カガリら三人に気づいた奥方は、そっと微笑んだ。
 数時間前までのどこか儚げで影のある笑顔ではなく、生きる力を宿した美しい笑顔。

「僕の目から見る限り。
 奥さんの表情は晴れやかだったよ」

「……そうですね」

 そう言う二人の表情も、どことなく晴れやかな色を纏っていた。

「……さあて、帰ったらカスミさんに飯でも奢って貰おうかな、っと」

「え!私も行きたいです!」

「君は引っ付いてただけだろ」

「そんなことないですよ!
 相撲に勝ったのは私ですよ!ほらほら!」

「それで河童たちが納得するよう説得したのは僕だ」

「そんなぁー!」

 キラキラと輝く日差しの中。
 言い合う二人の背後を、小さな影が笑いながら風のように駆けて行った。

 そのことに気づいた者は、誰もいない。

 第一部『河童』 完

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