『烏天狗』起の章

 木々が赤や黄色に色づき、それがだんだんと色あせていく。
 冬はもう只中で、誰もが暖かな装いをしている。

「だーかーらー、そこは“根”って読むつってんだろ!」

「読めません!この本の書き方の改善を要求します!!」

「無理言うな!つーか文脈的にどう見ても木の流れだろうが!察しろ馬鹿!」

 アシヤとカガリは、ゼミ室で行われる忘年会に向けて買い出しに出ていた。そのついでに、歩きながら片手にはビニール袋、もう片手には問題集と、来たる期末試験に向けて必死の問答をしていた。その鬼気迫る焦燥感たるや、買い出し自体がついでにならんばかりである。

「あー!馬鹿っていう方が馬鹿なんですよ!今言霊が発動しました!」

「な訳ねえだろ!見えねえくせに適当言ってんじゃねえ!単位落としても知らないからな!」

「サボりが原因で留年しまくってるアシヤさんに言われたくありません!」

「あ、おかえりなさい〜」

 もはや試験関係なしの話題で言い合いながらドアを開けた二人は、三年生のミヤモトとアサギに迎えられた。しかしほとんど聞こえてはいないようだ。

「僕はねえ、君と違って忙しいんだよ?今日だってこれから大事な大事な仕事の打ち合わせがある。単位の一つや二つにかまってなんかいられないのさ。君のチンケな単位にもね!」

「そんなあ!」

「でも、なんだかんだでカガリちゃんに付き合ってあげてるじゃないっスか。いやー優しいっスねえアシヤさんは!」

「うるさい黙れ馬鹿」

「なんでぇ!?」

 賑わうゼミ室に、四年生のマキメが遅れて入ってきた。右手には不揃いのマグカップが二つ。コーヒーのパックを持っているミヤモトにそろそろと近づく。

「またやってるねえ」

「すっかりあの二人も仲良くなりましたよね〜。賑やかなのはいいことですよ〜」

「ガチめに殴り合うことも増えたけどね……」

「カガリちゃんが毎回勝ってるところが面白いですよね〜」

「すごいよね。あのアシヤさんに物怖じしないのって、コガくんぐらいだと思ってたよ」

「カガリちゃんが来てから全体的に雰囲気変わりましたからね〜。なんか、話しやすくなりましたもん〜」

 二人でゼミ室とアシヤの変化にしみじみとしていると、唐突にチャイムが鳴った。

「あ!もう来られたのか!みんな、準備準備!!」

 バタバタと片付ける一同と、玄関に近付くカガリ。
 ドアについたすりガラスにある輪郭を見たアシヤは、一瞬で険しい顔つきに変わった。

「こんにちは!お待ちしておりま……」

 開けたドアの向こうには、肩に一羽のカラスを乗せた、真っ黒なコートの大男が立っていた。

「今日は代理が来るんじゃなかったんですか?」

「ああ。そいつが熱を出してね。それに、入ってた用事もキャンセルになったから、俺が直々に来てやったってわけ」

 淡々と言葉を交わしてはいるが、場の空気は一触即発だ。
 切れかけの細い糸がキリキリと引っ張られているような、そんな圧迫感があった。

「あの人、アシヤさんのお知り合いなんですか?」

「たぶんね。僕たちアシヤさんの仕事に関してはノータッチだから、詳しいことはわかんないけど……」

 ヒソヒソと物陰に隠れて様子を伺う後輩一同。
 コーヒーを出すタイミングを完全に見失っていた。

「日を改めてもらってもよかったんですよ?」

「なんだい、せっかく来てやったのに。俺だって社会人だし、学生に物を頼むなんてことしたくないんだがねぇ」

「すいませんねぇ、なにぶん優秀なもんで」

 アシヤと男の間には確実に火花が散っていた。
 少しでも目を離せば殴り合いにまで発展しそうだ。

「……私が行きます!」

「え!カガリちゃん、危ないっスよ!今はやめといた方が……」

「冷めたコーヒーを出したら、アシヤさんがうるさいですから!」

 そう言うと、すたすたと二人に歩み寄り、そっとコーヒーを出した。

「どうぞ!」

「お、ありがとう。嬢ちゃんもここのゼミ生なの?」

「おい……」

「はい。アシヤさんに教えてもらってます」

「そりゃ大変だろう。今でこそだいぶ丸くなったが、中身は暴君だからね」

「アシヤさんは悪い人じゃないですよ」

「そうかいそうかい。君は昔のアシヤを知らないんだねぇ」

「……昔からのお付き合いなんですか」

「お付き合いというか、腐れ縁というか。こいつがガキの頃から知ってるよ。十歳ぐらいだっけ?神童陰陽師って……」

 バン!!とアシヤが割れるような音を出した。
 持っていたマグカップを机に叩きつけたのだ。中身が勢いよく飛び散り、服にまでかかっているが、本人はそれどころではないようだ。

「用件はなんですか」

「おっと、悪い悪い。この話は君が嫌いなんだったねぇ」

 男はアシヤの鬼の形相にも動じずヘラヘラと笑っている。
 カガリは慌てて布巾で机を拭き始めた。

「まあまあ、そんな顔しないでよ。
 ……用件は一つ。こいつの動向を探ってくれ」

 男は懐から一枚の写真を取り出し、机の汚れていないところに置いた。
 カガリは写真に写る人を見て、思わず机を拭く手を止める。

「……この人に何かあったんですか!」

「やめろ、首を突っ込むな」

「君の知り合いかい?」

 見覚えのあるどころではない。
 ずっと前から知っている顔。
 三年前に上京のため巣立っていった男。
 カガリの顔は不安一色で、声も震えていた。

「……私の兄です」

―――

篝 大和カガリ ヤマト、二十五歳。隣町の警視庁捜査第二課で刑事をやってる。三年目のペーペーだが、仕事はよくできるそうだ。だが、ちょっときな臭い動きがあったらしくてね。警察の伝手から様子を見てくれって頼まれたのさ」

「きな臭い動き?」

「どうも、反社会的勢力と繋がりがあるようでね。金銭のやり取りもあるようだ」

「そんな……」

「これは僕の仕事じゃない。警察のほうで勝手にやってりゃいいでしょう」

「まあ、聞けよ。その反社会グループの名前は……『渡鴉ワタリガラス』」

 その名前を聞いた途端、アシヤはハッとした。

「……まだ生きてたのか」

「そう。妖至上主義を掲げ、『妖だけの世界を作る』と銘打って様々な人間を闇社会に引き入れている。神隠しのようにな。そこのリーダーが烏天狗で、地域を転々としているから『渡鴉』なんていうんだそうだ」

「だがそいつらは十数年前に解体されたはずだ」

「そう。とある術師の活躍によって、拠点を特定された『渡鴉』の連中は芋づる式で逮捕された。リーダーも死刑だ。ここじゃ言えないヤバいことにも足突っ込んでたみたいだからな。
 だが最近、同じ名前で復活したようだ。『リーダーの意志を継ぐ者』が現れたとか言ってな」

 アシヤは黙って聞いている。カガリはその顔を見てぎょっとした。人を殺した後のような、言い得ぬ恐ろしさと暗さを纏っていたのだ。

「俺は一人『渡鴉』の一味をとっ捕まえて色々吐かせたんだが、どうも今は新しいリーダーの元で、前と全く同じような『神隠し』をやってるらしい。
 ただ、拠点は前と同じやり方では通用しないとか言ってたな。
 しかも今回はリーダーの顔や名前は一部の幹部しか知らないらしい。相当頭の切れるやつがリーダーか幹部にいるってことだろうな。
 そして、そいつはカガリヤマトの顔を知らなかった。もしこいつが『渡鴉』と通じていた場合、かなり上の立場にいる可能性もなきにしもあらずってことだ」

 その言葉を聞いて、カガリは心の内で叫び出しそうになった。しかし喉元からはか細い声しか出てこなかった。

「……兄さん」

「……俺が探れたのはそこまでだ。そいつが『渡鴉』となんの関係があるのか、なぜ今『渡鴉』が復活したのかまではわからずじまいだ。しかしまあ、お前ならできるだろう?かつての拠点を見つけた『神童陰陽師』くんなら」

 アシヤの握る拳は、わなわなと震えていた。それでも平静を装って言葉を紡ぐ。

「僕がやるべきことは『カガリヤマトの動向を探る』それだけだ。それ以上のことはやらない」

「それでいい。いらんところまで足を突っ込んだら、消されかねんからな。俺もお前も」

 そこまでいうと男はふうと息をつき、首を左右に曲げた。先ほどまで空気のように佇んでいた肩のカラスは器用にそれをかわす。

「……それにしても、嬢ちゃんがそいつの妹だったとはな。その、こう言っちゃあなんだけど、あんまり顔が似てなかったしさ」

「……私は、養子なので」

「そうかい。嫌な話を聞かせちまったね。アシヤもそろそろ限界のようだし、ここらでお暇するかな」

 そう言って立ち上がり、男はドアに向かう。その時に死角であるカラスの腹元が見えた。

 ……足が一本。腹の羽毛に隠れていた。

「あ、そうだ」

 男が玄関で振り返り、懐をごそごそと探る。

「これ、俺の名刺。なんかあったら連絡してくれ」

「は、はい」

「ほんじゃまたね、嬢ちゃん」

 手渡された名刺には、三本足のカラスの絵と、古風な文字でこう書かれていた。

 八咫烏ヤタガラス探偵事務所

 所長 葛城 弓弦クズシロ ユズル

―――

 クズシロが帰った後も、アシヤの表情は険しいままだった。

「……アシヤさん」

「お前はこの件に関わるな。邪魔だ」

「そんな!兄さんに何があったのか私も知りたいです!」

「だからだ。縁者に何かされると雲隠れされかねない」

「それだけじゃないでしょう!あの人、クズシロさんと何かあったん……」

 言いかけて、睨まれる。初めて会った時の拒絶の色を、遥かに超えていた。

「……これ以上詮索するな」

 アシヤは立ち上がり、ゴミだらけの自分の机に戻っていった。
 その場に自分以外いないかのように、誰かが話しかけても無視一辺倒。
 カガリは、ただその場に立ち尽くすばかりであった。

「……カガリちゃん。場所、移動しよっか」

 マキメに声をかけられ、とぼとぼとゼミ室を後にする。

 ドアが閉まってから、アシヤは一人呟く。

「……クソったれが」

 ―――

 大学の食堂は、午後の講義が始まったこともあり閑散としていた。
 カスミゼミの後輩一同はその片隅に身を寄せる。

「……どうしちゃったんスかね。最近はだいぶ穏やかだったのに」

「あの人、アシヤさんの昔からの知り合い、みたいなこと言ってましたね〜」

「……アシヤさんは、自分の昔の話を絶対にしないんだ。幼少期どころか、高校の話も」

「そういや、アシヤさんに家族の話を振った時なんて、一日中無視されちゃったっスよ!」

「確かに、自分の話になるとすごく怒って……」

 カガリは先ほどの眼を思い出し、身を竦める。これ以上関わると本気で殺されそうだった。

「……これは、カスミさんからチラッと聞いた話なんだけど……」

 マキメが辺りを見回し、顔を寄せる。つられて他の三人も耳を傾けた。

「アシヤさん、昔はすごくエリートだったんだって。苗字でわかると思うけど、アシヤ家……陰陽道の重鎮だよ。そこで厳しくしつけられてたって」

「それで、神童陰陽師……」

「でも今は祓しかやってるところ見たことないっスよ?」

「エリートの道を外れてしまうような、何かがあったんですかね〜」

「……」

 クズシロの会話を思い出す。

『今でこそだいぶ丸くなったが、中身は暴君だからね』

 あの男は、アシヤの過去を知っている。
 露骨に信用ならない空気を纏っているが、同時に野放しにしてはならないと警鐘が鳴る。

「……私、あの人のところに行ってみます」

「え!そんなのアシヤさんにバレたら殴り合いどころじゃ済まないって!」

「だからって、あの人もアシヤさんも、放っておいたら良くないことが起こる気がします。兄さんのことも聞きたいことがあるし……」

「ヤバいっスよ!世の中触れちゃいけないことだってあるっスよカガリちゃん!」

「……私は、アシヤさんを触れてはいけないものだとは思いません」

 立ち上がり、マキメたちを見てにっと笑う。

「アシヤさんはもう、私の人生の一部なんですから!」

次話

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