『烏天狗』承の章(壱)

前話

 冬の空は薄曇りで、吐く息は白い。夜には雪が降ると予報で伝えていた。
 雑木林が並ぶ通りの一角。街中の雑居ビルの四階に、そのオフィスはあった。

「よう、来たかい」

 部屋の中は暖房が充分に効いていないのか肌寒い。辺りに散乱している書類の山が断熱効果を発揮しているようだ。
 中央の四角いガラステーブルを囲むようにソファが二台。その片方には丸まった大きな毛布が震えていた。

「ほら、寒いから閉めて閉めて。空いてるところにでも座ってくれや」

 相も変わらず真っ黒な出で立ちをした男は、いそいそと机の上の文具やらよくわからない人形やらを腕でどかす。雑多なものたちは机から押し出され、さらに雑多な床の上に転がる。

 カガリは恐る恐る空いているソファの隅っこに座った。自然と震えている毛布に目が行く。

「あの、これは……」

「ああ、いつもこの時期になると風邪引くんだ、こいつ。寝床がそこしかないもんでね。ま、そっとしといて」

「はぁ……」

 その時、毛布の隙間からちらりと翡翠色の目が覗いた。何か言おうとする前にまた毛布で隠れてしまったが。

「……で、話したいことって?」

「……兄さん……カガリヤマトの件です」

「だろうねぇ。こちらとしても身内から情報提供があるのはありがたい」

「手放しでお話しするつもりはありません。こちらからも条件があります」

「ん?」

「それは――」

 カガリとクズシロは少し言葉を交わしたのち、沈黙した。
 時計の分針が次の数字に回るころ、スズシロはようやく体勢を変えた。

「――いいだろう。条件を呑もうじゃないか」

「ありがとうございます」

「じゃあ、早速本題から。カガリヤマトの動向に何か覚えはないか?」

 クズシロは雑多な机からメモ帳と万年筆を取り出す。

「いえ。去年までは毎日のように連絡も取り合っていたし、月に一度はご飯も食べに行っていましたが、最近……今年の二月ごろから、仕事が忙しくなるからと言って、あまり連絡が取れなくなっていました」

「ふむ、様子が変わったのは今年の二月ごろ、ね。タレコミがあったのが九月ごろ。まぁしっぽが出るには少し遅いぐらいだな。
 最近は会ってないの?」

「はい。メールを送ったら返事は来るのですが、忙しそうだからそっとしておこうと思って」

「なるほど。今年の春から秋にかけての動きは知らない、と」

「ええ。ただ……」

「ただ?」

 カガリは、今年あった出来事の中から違和感を感じた瞬間を思い起こそうとしていた。クズシロの真っ黒な瞳がきらりと光るのを見て、とっさに目を伏せる。

「……向こうからくる連絡のタイミングが、丁度よくて」

「ほう」

「私とアシヤさんが変わった出来事を解決した後には必ずメールが入ってるんです。内容は取り留めもなくて『元気でやってるか?』とか『飯食ってるか?』とかなんですが……」

 一山超えた後にそう言った日常の一言をもらえるのが、カガリにとってはとても嬉しいものだった。
 兄――ヤマトは昔から勘が鋭く、カガリが森で迷子になった時も真っ先に駆けつけて来てくれた。
 だから今回もその類だと思っていたのだが。

「ふうん。ちなみにその変わった出来事とやらについては何か覚えてるかい?」

「はい。特に覚えているのはゼミの初日と、”河童の御霊会”の時です」

「……ひょっとして、どっちも『妖に襲われた』とか?」

「え……!」

「その様子だとご名答のようだねぇ……よいしょ」

 クズシロは混迷極まりない床から一冊のスクラップブックを取り出した。

 それは辞書のように分厚く、中には新聞や雑誌の切り抜きが何らかの分野ごとにインデックスされていた。

「ゼミ初日ってことは四月頭か……これかな」

 クズシロは一枚の雑誌の切り抜きを指差した。

 四月十日
 妖の暴走!?契約書の改ざん、紛失問題

「え……」

「場所は違うから別件だろうけどねぇ。次は”河童の御霊会”か。時期は?」

「ええと……八月の半ばです」

「とすると……これだな」

 またクズシロはスクラップブックを開き、ページを見せる。

 八月二十一日
 またも妖の暴走か 現代も続く恨みと祟り

「なんですか、これ……」

「君たちが妖に襲われたのと同じ時期に、同じような事件が起きてたってこと。場所は違えど、他にも共通点はきっとあるはずだ」

 カガリは切り抜きから目が離せずにいた。
 同じ時期に、似たような事件……。

「ま、まさか、誰かが仕組んだとか言うんじゃ……!?」

「そう言いたいんだけどねぇ。こっちも君がきっかけで今知ったから、これが何の繋がりがあるのかさっぱりなんだよ。共通点はこれから探っていくのさ……」

「ぐ、偶然ですよ、きっと」

「偶然は連鎖する……ね。僕らはそれらの偶然が、起こるべくして起こったのではないか、と疑わなければならない。難儀な商売だねぇ」

 クズシロはスクラップブックを手元に寄せてぱらぱらとめくる。そこに詰まったなんらかの切り抜きを、全て覚えているのだろうか。

 無関係に思える出来事から、糸と糸の繋がりを導き出していく。怪しいけれど、それが探偵の仕事なのかもしれない。

 そんなことを考えていると、クズシロはカガリの顔の前に人差し指を立てた。

「そうだな。これらの出来事のきっかけが知りたい。何か気になる物や、人物はいるかい?」

「それは……」

『河童』と『天邪鬼』。
 二つの妖の事件に関わるもの。
 祟り。金色の眼。妖。人。祓。詞。アシヤさん。そして……。

 カガリの思考を遮ったのは、リリンと鳴る涼やかなドア鈴の音だった。
 人影と共にドアが開く。
 そしてそこに立っていたのは――。

「……さっちゃん?」

「……兄さん……!?」

 精悍な顔つきとスーツに隠れた長身のたくましい体。
 カガリヤマトの姿が、そこにあった。

―――

「いやー、まさかここでさっちゃんに会えるとは!」

 レアミディアムのハラミをかじりながら、ヤマトは嬉しそうに笑った。

 ―――

 クズシロ探偵事務所で久々の再開を果たした兄妹。
 その光景を見たクズシロは、まるで予想していたかのように仰々しく驚いて見せた。

「おやおや、まさか次のお客さんとのダブルブッキングとは。
 これは俺の不手際だ、すまないねぇ」

「なんのつもり……」

 食って掛かろうとしたカガリを、ヤマトが手で制する。

「いえ、時間より早く来た僕が悪いんです。
 僕は外に出てるんで、お話を続けてください」

「いやー、外は寒いだろう。部屋で待ってるといい」

「僕がいたら話しにくいでしょう。それとも、聞いてほしい会話でもあるんですか?」

「信用ないねえ。俺は君のことを信頼して言ってるのに」

 どこかでみたような険悪な空気に、思わずカガリは声を上げた。

「……ま、また別の日に来ます!」

「おや、そうかい。まだ話の途中だけど。
 まあこればっかりはしょうがないね」

 そう言っているクズシロを背に、カガリはそそくさと立ち去った。

 動揺した心が落ち着かないまま街中をうろついていると、スマホの着信が鳴った。

「……兄さん?」

「うん、さっきはごめんね。まだ近くにいる?」

 そうして街中の焼肉屋で落ち合った二人は、そのままご飯を食べることにしたのであった。

 ―――

「兄さん、なんであそこに来てたの?」

「それはこっちのセリフだよ!あんなところに一人で来たら危ないよ!」

「そうなの?」

「あの人……クズシロさん、今年の頭に知り合ったんだけど。どうも話してて釈然としないんだよなあ。含みがあるというか」

 今年の一月。
 ヤマトが忙しくなると言って連絡が取れなくなる前だ。

「……クズシロさん、前から兄さんと面識があるの?」

「え?……いや。先輩の繋がりで顔を合わせたぐらいだよ。今回もその先輩の方に用事があったみたいなんだけど、急用ができたから俺が代わりに行ったんだ」

「……」

 カガリは思わず考え込んだ。
 偶然にしては、出来すぎている。

 初めてクズシロと会った時もそうだ。
「代理人が熱を出した」と言っていた。
 代理人が寝込まなければ、アシヤとカガリはクズシロと顔を合わせることがなかった。

 そして、さっきの再会。
 カガリがクズシロに疑念を抱き、事務所を訪れることを予期していたかのように現れた、カガリヤマト。

 偶然。

 クズシロの言葉を思い出す。

『僕らはそれらの偶然が、起こるべくして起こったのではないか、と疑わなければならない』

 クズシロに感化されているのだろうか。
 不安と疑念が渦巻く。

 誰かに行動を読まれている。

 そんな考えが脳裏をよぎった時、ヤマトが顔を覗き込んできた。

「どうしたの?」

「え!あぁいや、そんなに会ったことないなら、どうして『危険』なんて言うのかなって!」

「うーん……野生のカン?」

「……兄さんのカンは当たるからなぁ」

「そうそう。さっちゃんも話してて思わなかった?『この人はキケンだ』って」

 クズシロと話した時に感じた心の警鐘。
 それを見逃してはならないと、ヤマトの目は語っていた。

「……うん」

 それを聞いて、ヤマトはにっと笑う。

「流石俺の妹。次関わるにしても、直接会わない方がいい」

 そう言うとヤマトはタブレットを操作して、大盛りカルビを注文した。

「それよりさ、大学はどう?楽しい?」

「え……う、うん、楽しいよ。
 授業は難しいけど、みんな優しいししっかり教えてくれる。厳しい人もいるけど、勉強になるんだ」

「そっかあ……俺、妖関係の事件も扱ってるけどさ、『祓』なんて術知らなかったんだよね。さっちゃんが『祓』のゼミに行くって聞いた時、えぇ?って思ったもん」

「ふふ、何回も聞き返してたもんね」

「心配だったのもあるよ。さっちゃん、妖が怖いのを克服したいって何回も言ってたからさ。そんな得体の知れない所に行って大丈夫なのか?って。今でも思ってるよ」

 ゼミが決まった時、真っ先に伝えたのはヤマトだ。
 忙しくなる前は、電話や食事の折に何度も相談に乗ってくれていた。

 それでも、カガリの体質が特殊で、術を身につけることが難しいということは伝えていなかった。

「気にしすぎだって!兄さんこそ大変なんでしょ?全然連絡くれないし……」

 カガリの言葉に、ヤマトの表情はふっと曇る。

「……ごめん。思ってたより難しい事件でさ。でも大丈夫!もうすぐ解決させるから!」

「そんなこと言って、また危ないことしようとしてるんじゃないよね?」

「……大丈夫!」

「ほんとかなあ……」

 ヤマトは正義感が人一倍強い。ゆえに無鉄砲な行動を起こすこともしばしばある。

 学生の時分にいじめが発覚した時、相手が先輩でも物怖じせず面と向かって止めるように言っていた。
 それで一時的にいじめがエスカレートしたこともある。巻き込まれたことすらも。

 最終的にはいじめ相手と本気で殴り合い黙らせていた。その時のヤマトの形相は、地獄の鬼に匹敵するほどだと言われている。

 最近でも、ひったくりを目の前で目撃した時には、犯人の自転車にタックルをかまし、関節を外さん勢いで固めて犯人を泣かせていた。

 その時の相手への行動が良いか悪いかにかかわらず、ヤマトは悪事を行うものに対して厳格だ。

 そんな彼を知っているだけに、今回の話は不安でしかなかった。

 悪を制するために乱暴な行為をする。
 そんな危うさがヤマトにはあるのだ。

「……さっちゃんはさ、道場に初めて入ったときのこと、覚えてる?」

「え?五歳のときだったよね。もう十五年前になるのかな」

「そっかあ~。もうそんなに経ったのかあ」

「それがどうかしたの?」

「俺が警察官になろうって決めたの、その時なんだよ」

「えぇ?」

「あの頃のさっちゃん、ずっと泣いてて、俺たちもどうしたらいいかわかんなくて。
 でも父ちゃんが道場に連れて行ったとき、さっちゃん泣き止んでずっと試合を見てたんだ。
 その時の目を見て、『ああ、さっちゃんや、さっちゃんみたいな子を守れる人間になりたい』って思ったんだ」

「でも、なんで警察官?」

「そりゃお前、人を守ると言ったら、警察だろ?」

「なるほど、シンプルだね!」

「だろ!
 ……でも、世の中ってそんなにシンプルじゃないってことが、警察に入ってわかったんだ」

「……兄さん?」

「俺の手だけじゃ守れない人もいる。それはそうだ。
 だからいろんな人と協力して、たくさんの人を守ってきた」

 カガリはヤマトがいつの間にか箸を止め、強く拳を握っていることに気づいた。

「……それなのに、一番守りたい人はなぜか、俺たちの手から零れ落ちていくんだ」

「……兄さん。やっぱり何かあったんだね」

「……」

「私でよかったら、話聞くよ?」

「……本当に?」

 ヤマトは珍しく、言葉を詰まらせている。

「それで兄さんが楽になるなら」

 沈黙。
 カガリはただ、ヤマトが話し出すのを待っていた。

 そして、ヤマトの口が開く。

「……今いるゼミは危険だ。できるだけすぐに離れたほうがいい」

―――

「……何言ってるの?」

「あそこの教授と、もう一人……詳しいことは言えないけど、かなりやばいことに足を突っ込んでる」

「え?」

「俺、もしさっちゃんがあいつらのやってることに巻き込まれたらって思うと、夜も眠れなくて……でも大学楽しいって言ってるさっちゃんに言うのもつらいし……」

「ちょ、ちょっと待って!どういうこと?誰が何に関わってるの……?」

「カスミヒロシとアシヤイオリ……さっちゃんならわかるよね?」

 カガリは絶句した。
 何がなんだかわからない。
 反社会組織に関わっているかもしれないといわれていた兄が、調査する側のアシヤ達を告発したのだ。

「じ、じゃあ、クズシロさんに依頼したのは……」

「さっちゃん……ごめんね。やっぱりびっくりしたよね」

「なんでこんなことに……?」

「でも、手掛かりと資料を元にしてたどり着いたのが……」

 だんだん、ヤマトの声が遠くなっていく。

 噛み合わない会話。
 噛み合わない歯車。

 ……まるで、組み立てているはずのパズルが、目を離した隙にばらばらになっているような。

「……兄ちゃん、帰ろう」

 無意識に、カガリはヤマトを昔のように呼んでいた。

「……うん。どうするかは、さっちゃんが考えればいい」

 ―――

 会計を済ませて店を出ると、冷たい空気が頬を冷やした。
 混乱する頭の熱だけが冷めないまま、カガリはマフラーを巻く。

「送ってくよ」

「ううん。ここからバス出てるから。バス停からもすぐだし」

「そっか……」

 ヤマトの声色には明らかに元気がなかった。

「本当にごめんね。急にお世話になってる人のことを悪く言って、ゼミをやめろなんて……浅はかだったよ」

「う、ううん!兄ちゃんがそれだけ不安だったんだってことはわかるから」

「さっちゃん……!」

 抱きしめようとするヤマトをひらりとかわす。

「気をつけて帰ってね、兄ちゃん!」

「さっちゃんがだよ!」

 手を振り別れる二人。

 バスを待つ間、今日あった出来事を思い返す。
 空からはちらほらと雪が降り始めていた。

 一月。クズシロとヤマトが知り合った。
 その後、ヤマトとの連絡がほとんど来なくなる。
 連絡がきたのは、ゼミの初日にサグメに襲われた時と、夏の課外授業で河童の霊に襲われた時。
 そしてそれと同じ時期に、似たような事件が起きている。

 クズシロはヤマトが”渡烏”に関わっているかもしれないといってアシヤに依頼を持ち掛け、ヤマトはアシヤとカスミが危険人物だと忠告した。

『何か気になる物や、人物はいるかい?』

 これまでの中でかかわった妖や人はたくさんいる。
 誰もが大切で、カガリの人生の一部だ。
 それが、クズシロとの出会いをきっかけに、地盤が揺らいでいる。

「……何を信じればいいの」

「だから関わるなって言っただろうが」

 人知れずつぶやいた言葉に返された言葉。

 その声の元を見ると、いつもの眠たげな眼をした男が、雪の舞う灰色の道に立っていた。

次話

タイトルとURLをコピーしました