「……アシヤさん」
「まあ、止めても無駄だとは思ってたがね」
アシヤは歩み寄り、バス停の横に立った。
「……で、何かわかることはあったか?どうせあいつに情報渡しただけで終わったんだろうが」
「う……そんなことないですよ!
ただ、このままだと誰も信じられなくなりそうで……」
「そういう奴だよ、クズシロって男は。
あいつは情報を多く持ってる代わりに、出す情報も選ぶ。
偏向報道みたいなもんだ。例えば、人がナイフを振り上げていたとする。一点から見れば犯罪者かもしれないが、別の視点から見れば家族を守ろうとしているかもしれない。
あいつはナイフを振り上げている瞬間を切り取ってそこらじゅうの素人にばらまき、疑念を抱かせる。
そうやって商売してるゴミみたいな奴なんだよ」
「……そんな」
カガリの不安げな顔が、だんだんと泣きそうな、くしゃくしゃな顔になっていく。
「……そんなこと、もっと早く教えてくださいよ!」
「お前が先走りすぎなんだよ。少しは相手の出方を見ることを覚えろやコラ」
そう言ってアシヤはカガリのすねを軽く蹴とばす。
いつも通りのアシヤの所作にほっとして、カガリは思わずしゃがみこんだ。
「うう……じゃあ兄ちゃんや、アシヤさん、カスミさんも、悪いことしてないんですよね?
誰も疑わなくていいんですよね?」
その言葉に、アシヤはふいと顔を反らした。
「さあな。クズシロの目的次第で状況は変わるかもしれない」
「ど、どういうことですか」
「……ワタリガラスの話は聞いただろう。
あいつらは人間を嫌う。そして人間を闇社会に落とし、明るい道から遠ざけようとする。
実質の”神隠し”だ。その相手にお前の兄貴がターゲットにされた可能性が高い」
「え……でも、クズシロさんは兄さんが組織の上の立場にいるかもしれないって……」
「ばーか。ありゃあの男の希望的観測に過ぎない。
大体人を嫌ってる組織が人を上に立たせるかよ」
「う……確かに」
「お前みたいな単細胞が対象の関係者だと知って、あいつはお前もひっかけてやろうとしたんだろうさ」
「な、なんのために……?」
「さあな。クズシロに依頼した人間が誰かわかれば、少しはわかるんだろうが……あいつ、情報を消してやがった」
カガリは考え込む。よくわからないが、クズシロの術中にはまっていたことだけは確かなようだ。
「じゃあサグメさんと河童の件も、クズシロさんの悪い冗談だったんですかね」
「あ?」
「兄ちゃん、全然連絡くれなかったのに、あの二つの事件の後には向こうから連絡くれたんですよ」
「……」
「で、同じ時期に別の場所で似たような事件があったんだって……」
「……『木を隠すなら森に』か」
「え?」
カガリが顔を上げると、アシヤは渋い顔をして立っていた。
「他に兄貴から連絡が来たタイミングはないのか?」
「え、ええと……」
カガリはスマホを取り出し、メッセージ履歴をたどる。
「……あ」
この一年でのやり取りは少なく、すぐにそれは見つかった。
秋先に一件だけ送られていた、ヤマトからのメッセージ。
『さっちゃん、元気でやってる?
兄ちゃんは今ちょうど仕事の山場でバタバタしてる。
御門っていう先輩がいるんだけどさ、その人すげー怖いんだ。
でも仕事はできるし、その人のおかげでここまでやってこれたんだ。
その人が、』
「……」
「こんなメッセージ、見た記憶がありません……」
そのメッセージはなぜか非通知で未読のまま残されていた。
「ビンゴだな。日付は?」
「10月17日……」
「その日に何があったか調べれば、カガリヤマトがそのとき何をしていたのかつかめるはずだ」
「ど、どうして……!」
「二か月前か……下手するとそれはダイイングメッセージになってるかもしれない」
「!」
目まぐるしく変わる状況の展開に、カガリはついていけない。
「嘘!さっきまで兄ちゃんとご飯を食べて……!」
「……何?」
「クズシロさんのところで会ったんですよ、兄ちゃんと!そこで別れた後に待ち合わせて……!」
「……おい」
アシヤの表情が一気に険しくなる。
「あそこの事務所に、カラスはいたか?」
その言葉と同時に、黒い影が街灯の光を覆い隠した。
―――
冬の空は暗く、その存在に気付くには少し遅かった。
雪がはらはらと落ちるその空には、黒い翼が何羽も羽ばたき、円を描くように回っていた。
電線にはいつの間にかびっしりと烏たちがひしめき合い、太いワイヤーを弛ませている。
「はめられたな」
「アシヤさん!兄ちゃんは、兄ちゃんはどうなったんですか!?」
「……覚悟しておいた方がいい。俺たちもこのままだと消されるぞ」
「!!」
混乱しているカガリを叩きのめすには、十分すぎる言葉だった。
「兄ちゃん……!」
「ぼさっとしてんな、石を使え!」
アシヤは手持ちの札を宙に並べ、一斉に放った。
護身用であるその札は、煙のような靄となり、カガリたちの周りを覆う。
同時に、宙を舞っていた烏たちはアシヤたちの所へ槍のように降り注ぐ。
煙に触れた烏はそのまま煙のように消えた。
それでも、多勢に無勢だ。煙に触れなかった烏たち、電線に止まっている烏たちが次々に天高く上り、きりもみ回転しながら飛び掛かってくる。
「数が多すぎる……!」
その光景を見て、カガリはヤマトとのある記憶を思い出していた。
―――
「さっちゃん、下がって!」
十年前の夏。
ヤマトは山奥で迷子になっていたサツキを連れ帰ろうとしていた。
その道中で、大きな化け狸のしっぽを踏んでしまい、あまつさえ仲間も呼ばれてしまったのだ。
「ヤマト兄ちゃん……!」
がたがたと震えるサツキ。ヤマトはその手をぎゅっと握りしめた。
「大丈夫。怖くない」
そう言い、ヤマトは狸たちに向き合う。
『どうする?こいつら』
『ガキだぜ、喰っちまおうか』
『俺らの縄張りに入ったのが悪いんだ』
ひそひそ話をする狸たちに、ヤマトは堂々と話しかける。
「しっぽを踏んでしまったことは謝る。だがそれ以上のことはしていない。
俺たちは道に迷ってしまっただけなんだ」
『ごめんで済むなら術師はいらねぇんだよなぁ』
『オトシマエをつけようやオトシマエをよぉ』
「……これでいいか」
そう言って、ヤマトは素早く玉のようなものを取り出し、放った。
その玉には火がついており、導線がバチバチと鳴っている。
「逃げろ!」
ヤマトは素早くサツキの手を取り走り出した。
『やべぇ!』
『爆弾だ!』
『伏せろー!』
サツキの背中でパンパンと破裂音が鳴る。
『ぎゃー!!』
狸たちはパニック状態でそこら中を逃げまどっている。
「あれは……花火?」
「ほんとはさっちゃんと一緒にやりたかったんだけど、しょうがないや。
さっちゃんを守るためだもん」
そう言って笑うヤマト。
走っている間、サツキはずっとヤマトの背中を見つめていた。
―――
「おい脳筋!!」
怒鳴り声ではっとするカガリ。
「クソ鳥どもがそこまで来てる!下がれ!」
見ると、烏たちが羽ばたいて煙をかき消そうとしていた。
もう少しでついばまれてもおかしくない状況だ。
「大丈夫です」
カガリは一歩前に踏み出し、烏たちにこぶしを奮った。
風で煙が烏の方に向き、次々と消えていく。
「本当のことを知る前に烏に食べられたら、化けて出ますから!」
「じゃあせいぜい食われないようにすることだな!」
アシヤも続々と札を出して煙を増やす。
遠目から見ても札はもう数えるほどしかない。
しばらく抵抗を続けるも、烏はとどまるところを知らない。
煙が消えていき、烏がアシヤたちを覆うように、皮膚や髪の毛をついばみ始めた。
「おい!お前も詞を使え!」
そう言って振り返ったアシヤの頭上に、赤い目がきらりと光った。
「アシヤさん!!」
言い終わる前に、カガリはアシヤの前に飛び出した。
ごっ。
鈍い音と共に、大きな黒い塊とカガリが地面に叩きつけられる。
「おい!」
烏を振り払い、駆け寄るアシヤ。
倒れたカガリの横腹は、真っ赤に染まっていた。
―――
「カガリちゃん!!」
静かな病院に、カスミゼミ生一同が飛び込んできた。
待合室にはアシヤが一人。
「か、カガリちゃんは!?」
アシヤは何も言わず、顎で隣の治療室を指した。
ドアの小窓からは、目を閉じて動かないカガリが処置を受けていた。
治療室から出てきた医者の一人に、マキメは声をかける。
「よ、容態は?」
「正直、非常に厳しいですね。急所は外れてますが、どれだけ止血しても血が止まらないんですよ」
「呪いの特攻か……」
アシヤがつぶやく。
あの時飛び込んできた大きな烏の嘴には、呪いが付与されていたのだろう。
その反動か、そのカラスは地面に叩きつけられたまま事切れていた。
「一体何があったんスか!どうしてこんなことに……!」
「カガリちゃん、大丈夫ですよね……?」
口々に声を出す後輩には目も暮れず、アシヤはただ腕を組んで座っている。
少しして、誰かのスマホの着信が鳴った。端末を取り出したのはアシヤだった。
「遅い。……ああ、ああ……そうか」
誰と話しているのかはわからないが、深刻な状況だということは誰もが見て取れた。
電話を切り、後輩たちを一瞥する。
その目は矢のように鋭く、後輩をも射殺さんばかりだった。
「お前らはここを見張ってろ。カスミさん以外の誰も、ここには近づけるな」
「だ、誰か来るかも知れないんですか?」
「天狗か、狸か、三本足の烏か、だ」
「……」
「……こいつは、殺したって死にゃしない」
言い残すと、アシヤは早足で去って行った。
「カガリちゃん……」
マキメたちは、なすすべなく治療室をただ眺めるのみであった。
―――
アシヤが辿り着いた先は、病院からそう遠くないガレージだった。
「待たせたな」
人影にそう声をかけると、影の主は振り返り早足でアシヤに近づく。
そのまま喰い殺されかねない勢いで首元を掴まれるが、それでもアシヤは動じなかった。
「さっちゃん……妹はどこだ。こんなところ、病院でも何でもないじゃないか!」
「ここには誰もいない。茶番はやめた方がいい」
「なんだと?」
「あんたはカガリヤマトではない、そう言ってるんだ」
ヤマトではない――そう言い放たれた男は、アシヤの目を見る。
そこには何もなく、どす黒い闇だけが広がっていた。
「……その心をお聞かせ願いたいね」
「簡単なこと。カガリヤマトの存在は既に抹消されているからだ」
「誰に?どうして?」
「ワタリガラスに。彼は踏み込んではいけない領域に入ってしまったんだ」
眠たげな眼をした男は、その感情が消えうせた表情筋を使って無理やり口角を上げた。
「そうだろう?ミカドイズナさん」
それを聞いた男は、掴んでいたアシヤのシャツを手放し、ゆっくりと笑みを作った。
「……あー、やっぱりばれちゃってた?」
「回りくどいことばっかりやってるからだろ」
「えー、いつから?」
「最初にクズシロに会った時。
肩に止まってた烏……あいつはカガミって呼んでたか。そいつの様子が以前と違ってたもんでね」
「ほう?」
カガリヤマトの姿をした男――ミカドは余裕綽綽とアシヤに背を向けて、ガレージを物色している。
近くに埃をかぶった椅子を見つけ、どっかりと座った。
「あいつはコーヒーを嫌う。匂いすらだ。
だから部屋に入ろうとした時点でどっかに飛んで行ってないとおかしい。
そんな露骨な変化を見せてきたってことは、なんかのサインと考えた方が自然だ」
「ありゃ~、リサーチ不足だったなそりゃ。
クズシロも言ってくれればよかったのに」
「あの人は出す情報を選ぶからな。……敵味方、関係なく」
ミカドは椅子の背もたれを前に出し、頬杖をついた。
「で、で?カガリヤマトが消えた根拠を教えてよ」
「……ずいぶんと余裕ですね」
「そりゃそうさ、ピンチの時こそ余裕を持たなきゃ。
ミステリものじゃ、犯人は黙って探偵の答え合わせを聞くもんだろ?
途中で逃げ出しちゃあ、ギャラリーからブーイングものだ」
アシヤはくるくると椅子を回しているミカドを渋い顔で見ていた。