『烏天狗』結の章

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 かつん。

 固いものが落ちる音。

 音がした方を見ると、そこには煙水晶が落ちていた。
 カガリが大事に持っていた石。
 サグメたちの優しさが込められた石。

「なんで……」

 消え入るような声で呟いたアシヤは、背後に気配を感じた。
 その気配を確かめるため振り返ろうとした。だが、できない。

 この気配を知っている。この子を知っている。

 あの子だ。

 忘れたくても忘れられない。忘れられるわけがない。

「イオリ」

 気配ははっきりとその名前だけを口にし、消えた。

 とっさに振り返るが、そこには冷たい鉄の壁があるだけだった。

「……マコト」

 そうつぶやき、目下に広がる光景をかえりみた。

 ミイラのような腕は、ミカドの傍らにあったシリコン入りの缶をねちゃねちゃと潰していた。

「……出来損ないが」

 アシヤは懐からマッチを取り出して火をつけると、腕に向かって放り投げた。
 硬化前のシリコンと腕はよく燃えたが、なぜか周りには燃え移らなかった。

「……疲れた。帰る」

 踵を返すアシヤに、ミカドは大声で呼びかけた。

「アシヤぁ!!ここで僕を見逃したらお前の命は残りわずかだと思え!
 それだけじゃない……!僕はあんたを最っ高に不幸にしてやる……!
 お前が大事にするもの、人、全部!!
 お前の目の前でズタズタにしてあげるよ……待ってろ……」

 アシヤは振り向くことなく、ガレージを後にする。
 呪詛を吐き続けるミカドに聞かせる気もないのか、独り言のようにつぶやく。

「そんな言葉、もう聞き飽きたよ……。
 まあ、今回はお前が後遺症を克服できるか次第だな」

 最後に、後ろ手にガレージのシャッターを閉める。

「じゃあな、人でなし共」

 ―――

 寒空を一人歩くアシヤ。
 行き先は決まっている。ここからそう遠くない。

 ふう、と息を吐く。息は白く染まり、霧散する。

「……」

 アシヤは、過去に自分が犯した事件のことを思い出していた。
 クズシロと関わるきっかけになった事件。
 カスミと初めて出会うことになった事件。

 あの日も寒く、吐く息は白かった。

『——初めて見る術だろう、なんせ僕がさっき作ったばかりだからね』

『……』

『あ、先に自己紹介をしとこうか。僕はカスミヒロシ。年齢は内緒。君は?』

『……黙れ』

『そう言わないで。丸腰の君を傷つけるつもりはないから』

『……は?』

『うん、あの仕掛けはよくできてたね。他人の霊気に反応して瘴気が発生するやつ。
 もう解除したから使えないけど』

『なっ……』

『しっ、まだ連中は気づいてない。さあ、話をしよう。君の名前は?』

 カスミは、交渉と称した二者面談を、若きテロリストと行ったのだ。
 いつもと変わらぬ笑顔で。
 あの頃から狸爺だった。
 でも、なぜかその時の自分は、そんな狸の手を握っていたのだ。

『……大丈夫、まだ君は僕の目が届く場所にいるよ』

 かつてのカスミの言葉が脳裏をよぎり、思わず鼻で笑う。

「……まだ、僕は大丈夫ですかね、カスミさん……」

―――

 雑多だったはずのクズシロのオフィス。
 そこはあらゆる物が撤収されてがらんとしており、塵一つ残されていなかった。

 ――腹に大きな穴が開いているクズシロを除いて。

「遅かったか」

「ほんとだよ……まさか……あんなのに手こずったわけ?」

 即死していてもおかしくないほどの傷を負っているクズシロだが、まだ意識はあるようで、切れ切れに言葉を発する。

「憎まれ口叩ける程度には元気そうだな、帰るか」

「こらこらこら……、俺の遺言を……聞きに来たんじゃないの……?」

「ああ、だがお前の口からじゃない」

 そう言って、アシヤは懐から一枚の黒い羽根と、紙を取り出した。
 羽の軸部にクズシロの血をつけ、詞を唱える。

 すると、紙と羽はふわりと舞い上がり、誰の手も借りずにさらさらと字を書き付け始めた。

「用心深いねえ……」

「当たり前だ、これで何度目だと思ってやがる」

 少しして羽は動きを止め、紙と共にひらりとアシヤの手元に舞い戻った。

「……こりゃ時間がかかりそうだな」

 紙には、さまざまな術の文字が組み合わさって書かれており、奇妙な紋様として浮かび上がっていた。
 しずくを逆さにしたような形に丸が三つくっついており、それが円になるように八つ並んでいる。

「八つ丁子チョウジか……」

「……なあ」

 振り向くと、クズシロは暗闇の中で静かに息を上げている。
 口元からも血が滴っているが、その表情は至って笑顔だった。
 まるで、これから自分に起こる出来事に期待をしているかのように。

「最後にあいつ……、なんか言ってたか?」

「さあ。なんかうるさかったけど」

「おい……殺さなかったのかよ」

「だるいから帰ったよ」

「ざーんねん……初の殺しはあいつにしてほしかったねえ」

「ご期待に沿えなくて悪かったね」

「……時は春」

「あ?」

「日は朝、
 朝は七時、
 片岡に露みちて、
 揚雲雀なのりいで、
 蝸牛枝に這ひ、
 神、そらに知ろしめす……」

「……すべて世はこともなし、だ」

「……『ピッパが通る』か」

「その通り。この言葉が何を意味するか……、お前にはわかるか?」

「お前が知っているのなら、その口から聞いた方が早いだろう」

「悪いな……。俺にはさっぱりなんだ」

「だと思ったよ」

「カガミの辞世の句だ……。特攻の直前に俺に送ってきた……。ほとんどミカドのやつに乗っ取られてたから、ミカドの言葉かもしれんが……」

「……そうか。気が向いたら覚えといてやるよ」

 その言葉を聞き、クズシロは意識が薄らいできたのか、少しずつ目がうつろになっていく。

「……嬢ちゃんに言われたよ。『この件が終わったら、もうアシヤさんには近づかないでください』って」

「あいつが?」

「霊力はないかも知らんが、なんだかんだ勘は鋭いみたいだ……。全く変わった子だよ」

「……」

「……じゃ、俺死ぬから……嬢ちゃんによろしく言っといてや」

「……気が向いたらな」

 そう言い、アシヤはオフィスを後にする。
 振り返ることは、終ぞなかった。

―――

 アシヤが再びカガリの病室に足を運んだのは、数日後のことだった。
 久々に天気が良くなり、白い壁が日光をまぶしく反射している。
 まぶしい日向を避けるように、アシヤは廊下の影を歩く。

 部屋に入ろうとしたタイミングで、担当のナースらしき看護師が出てきた。
 切れ長な目つきをしており、黙っていると怒っているようにも見える。

「どうですか、あいつの様子」

 振り返った看護師は、眉をひそめてより険悪な表情を作った。

「どうって……。
 起きてからは大変ですよ!ご飯一升を一日で平らげて……ここは食べ放題じゃないんですから!
 リハビリ機器も何台か壊したんですよ!まだ傷ふさがってないのに!
 まったく……早く治ってほしいもんですよ!!」

 ぶつくさ言いながら去っていく看護師を横目で見送り、ドアを開けた。

 そこには、病院食をむしゃむしゃと食べるカガリがいた。

「あ、アヒヤふぁん!お久しぶりでふ!」

 もぐもぐと食べながら喋るその姿は、いつものカガリそのものだった。

「すいません、もうすぐ食べ終わりますんで」

「それ、何杯目だ」

「うっ……五杯目です」

「ナースブチ切れてたぞ、食いすぎだって」

「いやあ、いっぱい血を流しちゃったからか、なんだかおなか減っちゃって!」

「そりゃ、けっこうなことで……」

 アシヤが来てにこにことしていたカガリだったが、突然表情を曇らせしゅんとした。

「その……アシヤさん。ご迷惑をおかけしました」

「何が」

「だって、私が勝手な行動をしなければ、あんなふうに不意打ちで襲われることなかったんですよね……?」

「……」

 カガリは自分が重傷を負ってなお、自分の無鉄砲さを反省している。
 それに対して、僕は……。

 ごんっ。

「いたあ!」

「お返しだ馬鹿脳筋」

「ひどい!」

「誰のおかげで治ったと思ってんだ」

「ありがとうございます!」

「……ちっ、めんどくせえ……」

「何がですか!」

「……なよ」

「え?」

「だから、……んなってんだよ」

「す、すいません、ごにょごにょとしか聞こえなくて……」

「……今回ばかりは、お前だけに原因があるわけじゃないから気にすんなって言ってやってんだよ!」

 ごんごんごん!

 アシヤはカガリの頭を、何か握りしめながら叩く。

「いたたたた!わかりました、わかりましたから何で叩いてんですか!
 結構響きますよ!!」

 言われて、やや強めにカガリの頭に置いたのは、あの煙水晶だ。

「あれ!落としちゃってたんですか!」

「大事にするんじゃなかったのかよ」

「すいません!なくしてたことすら気づかなくて……」

「あ?お前が僕のズボンに入れたんじゃないのかよ」

「え?そうなんですか?」

「は?」

「え?」

「……」

「……」

 すると、沈黙を破るようにどやどやとカスミゼミ一同が押し寄せてきた。

「カガリちゃん!今日も食ってるっスか!」

「お医者さん、もうすぐ退院できそうだって!」

「よかったね~、忘年会楽しみだね~」

「……」

「おい、なんでお前らまで来てんだよ」

「そりゃあ、アシヤさんがお見舞いに行くんだったら、久々にみんなで顔合わせしようってなるでしょうよ!」

「ならねえよ!つーか何で知ってんだよ今日僕が来ること!」

「カスミさんから聞いたっス!」

「あの狸爺……」

「先輩……!アシヤさんも、ありがとうございます!!」

「うるさ……」

 にぎやかな病室に先ほどのナースがうるさいと怒って飛び込んで来るまで、カガリたちは笑いながら、来る年の瀬を待つのであった。

 第三部『烏天狗』完

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