第三部『烏天狗』結

「なんで僕に依頼しに来たのか……ね」
「うんうん」
「それはおそらく、過去の清算だ。ワタリガラスは十数年前に潰された。だが復活した。いつ頃かは知らんがね。手始めにやるならなんだ?元凶を叩くことだろう」
ミカドは開いていた腕を組み、今度は考え込むような仕草をした。
「うーん、半分当たりで半分外れ。僕は君をスカウトしに来たんだよ」
「は?」
「だって君みたいな切れ者、こっち側に来てくれたら超助かるじゃん?僕らはね、まだまだ仲間が必要なんだ。そして君には、僕らに加わる素質がある」
アシヤは苦虫を噛み潰したような顔でミカドを見た。
ミカドは相も変わらずにこにこしている。
「……何を見てそんなこと言ってんだ?」
「そりゃあ君の手腕、詞を使った妖への交渉、全部見てきたよ!すごいよねえ!一瞬で相手の属性を見切って見合った術を的確に出す……。君ぐらいの若さでできることじゃないよ!」
「ふうん。だがお前らの指標は『妖だけの世界を作る』じゃなかったのか?人を入れたらまずいだろうが」
「そこはねえ、だいぶ開発が進んでるんだよ。君は小さかったから覚えてないかもしれないけど」
「……なんだと」
「その感じだと覚えてるみたいだね!『人体妖化計画』!」
アシヤは絶句した。
同時にフラッシュバックする。
術を使って本拠地を探った時に見えたもの。
人間の死体。死体。死体。
その中に紛れて蠢く異形のもの。
当時見たときは体内の液体と呼べるもの全てを吐き出したのではないかと思えるほど、狂乱した。
あの実験が今も続き、そして完成されようとしている。
無意識に、アシヤはミカドの胸ぐらをつかんでいた。
「……外道が」
「しょうがないよ、僕ら『人でなし』なんだもん。……それに、君だって人のこと言えないでしょ?」
「……」
アシヤは、俯いて舌打ちし、乱暴に手を放す。
「君がやろうとしてることだって、僕がやろうとしてることだって根本は変わらない。世界を変えるためには犠牲はつきものだ、そうだろう?」
「違う……」
「違わないよ。異なる点が一つあるとするなら、守るのが人か、妖か、それだけだ」
「違う!!」
アシヤの叫び声は、ガレージ一帯の金属で反響し、元の声以上に大きく響いた。
「……僕はさ、君と組むことができたらすごいことができるって信じてるんだ。それこそ、人と妖の間にある、垣根を壊すなんてこともね」
ミカドは、そっとアシヤに手を差し出す。
その笑みは余裕の証であり、庇護欲の化身でもあった。

―――

ぱんっ。
それは、アシヤがミカドの手を叩き落とす音。
「……悪いな。丁重にお断りさせていただくよ」
「……そんなことしたら、僕は君を殺さなくちゃいけなくなっちゃうよ」
「かまわないさ。僕がお前を殺すからな」
「君の後輩くんも死んじゃうよ?」
「あいつは殺したって死なない」
「強気だねえ。せっかく二人ですごいことができると思ったのに」
「知ったこっちゃないね。あんたらの大義名分なんざハリボテみたいなもんだ。選ぶ相手を間違えたんだよ、あんたは」
「お、言うねえ。流石アシヤ家の神童陰陽師くんだ」
「……悪いがそっちは廃業済みだ」
「ふーん、これでも?」
そう言ってミカドは自身から伸びている影を長くした。
影はアシヤの影と交わり、首へと届く。
「っ……」
アシヤの肉体に変化はない。だが影は確実にアシヤの首を絞めていた。
「苦しい?まるで誰かさんの呪いみたいだねえ」
ミカドがぐいと腕を引いたと同時に、アシヤも引き寄せられる。
目と鼻の先まで迫ったワタリガラスの親玉。
アシヤは素早く後ろ手に持っていた札をばらまいた。
札はひとりでに宙を舞い、ミカドに向かう。
だが、札はミカドに触れる数センチ手前でじゅっと音を立てて焼け落ちた。
「君じゃ僕に勝てないよ。力の量が違う」
ミカドはくすくすと笑う。
アシヤも、笑っていた。
「やっぱダメか」
ぱしゃっ。
刹那、アシヤはミカドに水のようなものをかけていた。
右手には計量カップほどのやや小ぶりな瓶。
顔に思いっきり食らったのか、髪の毛からぽたぽたと雫が垂れている。
「こら!服が濡れたじゃな……いか……」
異変に気付くには少しかかった。
濡れたところが灼けるように熱い。
実際には焼けていないのだが、ミカド自身の痛覚全てが、炎に包まれたかのように激痛を走らせている。
「ぎ……あああああああああああああ!!!!!」
椅子から転げ落ち、顔を覆って叫ぶミカドをアシヤはにっこりと微笑みながら見ていた。
「ギ……ぎ……何を使った……!」
「人間にとってはただの水。妖にとっては劇薬。
いわば聖水ってとこか。効果はてきめんのようだな!」
「はあ……はぁ……なんで……」
「なんで効いたのかって?そりゃお前、化けの皮を使ってるからさ」
そう言い、アシヤは瓶を揺らす。
無色透明、はたから見れば完全にただの水だ。
「人間の皮をかぶってるから大丈夫だと思ったんだろ?残念!女性なんかが使ってるアレ……導入液とかいうやつ。アレと同じ原理だよ。アレは皮膚の表面についてる油分や水分を除去することで化粧水を浸透させやすくしてるんだ。俺が使った聖水は混ぜもんたっぷりでね。肉体が持つバリアを溶かして妖の魂にまで浸透させちまうんだわ。魂に直接効果があるから、肉体から抜け出たところで意味はない。なんで生き物に聞かないのかって言ったら、そりゃまた肉体と魂の構造の話になるんだが……」
そこまで言って、ミカドが苦痛のあまり気絶しかけていることに気付いた。
アシヤは歩み寄り、ミカドの頬をぺしぺしと叩く。
「おいおい、人の話は最後まで聞けよ。寝るにはまだ早いぞー?」
「いぎぃ……っ」
「札も無駄にしやがって。あの紙高かったのになぁ」
「……流石、アシヤ家の息子、だ。やること、が、母親、にそっくり、だ」
笑っていたアシヤの顔から表情が消える。
「余計なお世話だ」
「そう、だね。ああ、でも、これは、昔と、違って、人の、ために、やってるん、だもんね」
「あ?」
「……だって、クズシロくん、言ってたよ。『昔の暴君だったころとは大違いだ、ずいぶんと丸くなっちゃって。 ……守りたいものでもできたかな?』って」
言い終わらないうちにアシヤは残りの聖水をぶちまけた。
ミカドは声にならない声を上げて呻き、のたうち回る。
その凄惨な光景を見て、アシヤはげらげらと笑っていた。
心から、嘲るように。愉しむように。
ひとしきり笑い終えた後、もはや声が聞こえているのかわからないミカドに、独り言のように話し出す。
「はぁ?僕がそんな感情的な行動をするわけないだろうが。これは、……ああ、そう、『落とし前』ってやつだ。妖さんたちがたいそう重んじてる『落とし前』だよ。なあ?お前にはさんざん世話になったからな……。あの脳筋馬鹿にも借りを作っちまった……。僕は他人に借りを作るのが大嫌いなんだ……。……でもまあ、今回ばかりは感謝しないとな」
そう言って取り出したのは、ミイラのような手。
ぎちぎちと脈打つそれは、みるみるうちに大きくなり、ミカドの頭を二回りも大きい手のひらで包んだ。
「お前を消す口実ができたんでね」
ぐちゃり、と、柔らかいものが潰れる音がした。

―――

かつん。

固いものが落ちる音。
音がした方を見ると、そこには煙水晶が落ちていた。
カガリが大事に持っていた石。
サグメたちの優しさが込められた石。
「なんで……」
消え入るような声で呟いたアシヤは、背後に気配を感じた。
その気配を確かめるため振り返ろうとした。だが、できない。
この気配を知っている。この子を知っている。
あの子だ。
忘れたくても忘れられない。忘れられるわけがない。
「イオリ」
気配ははっきりとその名前だけを口にし、消えた。
とっさに振り返るが、そこには冷たい鉄の壁があるだけだった。
「……マコト」
そうつぶやき、目下に広がる光景をかえりみた。
ミイラのような腕は、ミカドの傍らにあったシリコン入りの缶をねちゃねちゃと潰していた。
「……出来損ないが」
アシヤは懐からマッチを取り出して火をつけると、腕に向かって放り投げた。
硬化前のシリコンと腕はよく燃えたが、なぜか周りには燃え移らなかった。
「……疲れた。帰る」
踵を返すアシヤに、ミカドは大声で呼びかけた。
「アシヤぁ!!ここで僕を見逃したらお前の命は残りわずかだと思え!それだけじゃない……!僕はあんたを最っ高に不幸にしてやる……!お前が大事にするもの、人、全部!!お前の目の前でズタズタにしてあげるよ……待ってろ……」
アシヤは振り向くことなく、ガレージを後にする。
呪詛を吐き続けるミカドに聞かせる気もないのか、独り言のようにつぶやく。
「そんな言葉、もう聞き飽きたよ……。まあ、今回はお前が後遺症を克服できるか次第だな」
最後に、後ろ手にガレージのシャッターを閉める。
「じゃあな、人でなし共」

―――

寒空を一人歩くアシヤ。

行き先は決まっている。ここからそう遠くない。
ふう、と息を吐く。息は白く染まり、霧散する。
「……」
アシヤは、過去に自分が犯した事件のことを思い出していた。
クズシロと関わるきっかけになった事件。
カスミと初めて出会うことになった事件。
あの日も寒く、吐く息は白かった。
『——初めて見る術だろう、なんせ僕がさっき作ったばかりだからね』
『……』
『あ、先に自己紹介をしとこうか。僕はカスミヒロシ。年齢は内緒。君は?』
『……黙れ』
『そう言わないで。丸腰の君を傷つけるつもりはないから』
『……は?』
『うん、あの仕掛けはよくできてたね。他人の霊気に反応して瘴気が発生するやつ。
もう解除したから使えないけど』
『なっ……』
『しっ、まだ連中は気づいてない。さあ、話をしよう。君の名前は?』
カスミは、交渉と称した二者面談を、若きテロリストと行ったのだ。
いつもと変わらぬ笑顔で。
あの頃から狸爺だった。
でも、なぜかその時の自分は、そんな狸の手を握っていたのだ。
『……大丈夫、まだ君は僕の目が届く場所にいるよ』
かつてのカスミの言葉が脳裏をよぎり、思わず鼻で笑う。
「……まだ、僕は大丈夫ですかね、カスミさん……」

―――

雑多だったはずのクズシロのオフィス。
そこはあらゆる物が撤収されてがらんとしており、塵一つ残されていなかった。
――腹に大きな穴が開いているクズシロを除いて。
「遅かったか」
「ほんとだよ……まさか……あんなのに手こずったわけ?」
即死していてもおかしくないほどの傷を負っているクズシロだが、まだ意識はあるようで、切れ切れに言葉を発する。
「憎まれ口叩ける程度には元気そうだな、帰るか」
「こらこらこら……、俺の遺言を……聞きに来たんじゃないの……?」
「ああ、だがお前の口からじゃない」
そう言って、アシヤは懐から一枚の黒い羽根と、紙を取り出した。
羽の軸部にクズシロの血をつけ、詞を唱える。
すると、紙と羽はふわりと舞い上がり、誰の手も借りずにさらさらと字を書き付け始めた。
「用心深いねえ……」
「当たり前だ、これで何・度・目・だと思ってやがる」
少しして羽は動きを止め、紙と共にひらりとアシヤの手元に舞い戻った。
「……こりゃ時間がかかりそうだな」
紙には、さまざまな術の文字が組み合わさって書かれており、奇妙な紋様として浮かび上がっていた。
しずくを逆さにしたような形に丸が三つくっついており、それが円になるように八つ並んでいる。
「八つ丁子か……」
「……なあ」
振り向くと、クズシロは暗闇の中で静かに息を上げている。
口元からも血が滴っているが、その表情は至って笑顔だった。
まるで、これから自分に起こる出来事に期待をしているかのように。
「最後にあいつ……、なんか言ってたか?」
「さあ。なんかうるさかったけど」
「おい……殺さなかったのかよ」
「だるいから帰ったよ」
「ざーんねん……初の殺しはあいつにしてほしかったねえ」
「ご期待に沿えなくて悪かったね」
「……時は春」
「あ?」
「日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす……」
「……すべて世はこともなし、だ」
「……『ピッパが通る』か」
「その通り。この言葉が何を意味するか……、お前にはわかるか?」
「お前が知っているのなら、その口から聞いた方が早いだろう」
「悪いな……。俺にはさっぱりなんだ」
「だと思ったよ」
「カガミの辞世の句だ……。特攻の直前に俺に送ってきた……。ほとんどミカドのやつに乗っ取られてたから、ミカドの言葉かもしれんが……」
「……そうか。気が向いたら覚えといてやるよ」
その言葉を聞き、クズシロは意識が薄らいできたのか、少しずつ目がうつろになっていく。
「……嬢ちゃんに言われたよ。『この件が終わったら、もうアシヤさんには近づかないでください』って」
「あいつが?」
「霊力はないかも知らんが、なんだかんだ勘は鋭いみたいだ……。全く変わった子だよ」
「……」
「……じゃ、俺死ぬから……嬢ちゃんによろしく言っといてや」
「……気が向いたらな」
そう言い、アシヤはオフィスを後にする。
振り返ることは、終ぞなかった。

―――

アシヤが再びカガリの病室に足を運んだのは、数日後のことだった。
久々に天気が良くなり、白い壁が日光をまぶしく反射している。
まぶしい日向を避けるように、アシヤは廊下の影を歩く。
部屋に入ろうとしたタイミングで、担当のナースらしき看護師が出てきた。
切れ長な目つきをしており、黙っていると怒っているようにも見える。
「どうですか、あいつの様子」
振り返った看護師は、眉をひそめてより険悪な表情を作った。
「どうって……。起きてからは大変ですよ!ご飯一升を一日で平らげて……ここは食べ放題じゃないんですから!リハビリ機器も何台か壊したんですよ!まだ傷ふさがってないのに!まったく……早く治ってほしいもんですよ!!」
ぶつくさ言いながら去っていく看護師を横目で見送り、ドアを開けた。
そこには、病院食をむしゃむしゃと食べるカガリがいた。
「あ、アヒヤふぁん!お久しぶりでふ!」
もぐもぐと食べながら喋るその姿は、いつものカガリそのものだった。
「すいません、もうすぐ食べ終わりますんで」
「それ、何杯目だ」
「うっ……五杯目です」
「ナースブチ切れてたぞ、食いすぎだって」
「いやあ、いっぱい血を流しちゃったからか、なんだかおなか減っちゃって!」
「そりゃ、けっこうなことで……」
アシヤが来てにこにことしていたカガリだったが、突然表情を曇らせしゅんとした。
「その……アシヤさん。ご迷惑をおかけしました」
「何が」
「だって、私が勝手な行動をしなければ、あんなふうに不意打ちで襲われることなかったんですよね……?」
「……」
カガリは自分が重傷を負ってなお、自分の無鉄砲さを反省している。
それに対して、僕は……。
ごんっ。
「いたあ!」
「お返しだ馬鹿脳筋」
「ひどい!」
「誰のおかげで治ったと思ってんだ」
「ありがとうございます!」
「……ちっ、めんどくせえ……」
「何がですか!」
「……なよ」
「え?」
「だから、……んなってんだよ」
「す、すいません、ごにょごにょとしか聞こえなくて……」
「……今回ばかりは、お前だけに原因があるわけじゃないから気にすんなって言ってやってんだよ!」
ごんごんごん!
アシヤはカガリの頭を、何か握りしめながら叩く。
「いたたたた!わかりました、わかりましたから何で叩いてんですか!結構響きますよ!!」
言われて、やや強めにカガリの頭に置いたのは、あの煙水晶だ。
「あれ!落としちゃってたんですか!」
「大事にするんじゃなかったのかよ」
「すいません!なくしてたことすら気づかなくて……」
「あ?お前が僕のズボンに入れたんじゃないのかよ」
「え?そうなんですか?」
「は?」
「え?」
「……」
「……」
すると、沈黙を破るようにどやどやとカスミゼミ一同が押し寄せてきた。
「カガリちゃん!今日も食ってるっスか!」
「お医者さん、もうすぐ退院できそうだって!」
「よかったね~、忘年会楽しみだね~」
「……」
「おい、なんでお前らまで来てんだよ」
「そりゃあ、アシヤさんがお見舞いに行くんだったら、久々にみんなで顔合わせしようってなるでしょうよ!」
「ならねえよ!つーか何で知ってんだよ今日僕が来ること!」
「カスミさんから聞いたっス!」
「あの狸爺……」
「先輩……!アシヤさんも、ありがとうございます!!」
「うるさ……」
にぎやかな病室に先ほどのナースがうるさいと怒って飛び込んで来るまで、カガリたちは笑いながら、来る年の瀬を待つのであった。

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